上達の漸近線

2月 29th, 2024

先日、毎年恒例となっている大学時代の友人とのスキーに行ってきました。
毎年そう思うのですが、去年より少し上達していた感覚がありました。



毎日、バイク用のバランストレーニングをしています。そのトレーニングはスキーの上達にも寄与しそうです。なので、しょっちゅうスキーをやっていなくても、上達を期待したいわけです。



ただ、「この程度滑れるようになりたい」というイメージするレベルには、徐々に近づいている感じはあるのですが、10年20年と結局そのレベルに達することはできません。どんどん近づいていいくのですが、決してそのレベルに達することはできないのではないか、という気もします。



バイクについても同じ感じになっています。
乗るたびにうまくなっていっている感覚はあって、それはそれで楽しいのですが、「この程度走れるようになりたい」と思うレベルには近づけど近づけど、到達すること叶わずという感じがあります。



まさに漸近線という感じですが、上達曲線という言葉はあっても、漸近線は一般的ではないようです。

カンボジアの交通と自動運転

1月 31st, 2024

カンボジアのバイクツアーです。
オフロードバイクなので、色々入っていけます。下草が燃えた直後の森の中とか。
イメージとしては、ヘリスキーが近いのかもしれません。ある程度スキーができて初めて入っていけるゾーンに行くことができます。



スタートとゴールはプノンペン中心部のバイクショップ。なので、市街地の混雑した道を走っていきます。日本の都市部と変わらない混雑具合(ただし、バイクやトゥクトゥクの割合が高い)ですが、交差点にほとんど信号がありません。
優先道路をまっすぐ走る分にはまあよいのですが、左折(右側通行なので日本で言う右折)したり、交差道路が幹線道路だったりする場合は、なかなか大変です。
対向車線や交差道路が2車線ほどある場合だと次のような感じです。少しだけバイクを対向車線(左折の場合)なり交差道路なりに出す感じにして、対向車線や交差道路を走る車に間隔が空いたり、譲ってくれる気配がある場合にまず1車線分進める。そしてもう1車線分を同じ要領で様子を探りながら進むという形になります。ある種、お互い様なので、左折車両や細い交差道路の直線車両があって進む意思がみえて場合は譲ってくれているような感じです。
このような譲る意思がない場合、事故が多発しそうです。ただ、そのあたりは、社会的動物としての人間の本能なのか、それほど事故が多発するわけでもなく、なんとかなるようなので面白いです。国家による信号の設置と交通取締りの存在がなくても、おおかたうまくまわるようです。
なお、そういうところで車やバイクなんて乗らないから無関係ということでもないです。道を横断する場合も、同じ要領で車の様子をみながら強引に車をせき止めながら渡る感じになります。



さて自動運転でこのようなことができるのかは興味深いです。
日本でも、商店街で人がうじゃうじゃいるところを進むには、人の目の動き等を観察しながら進む等色々やらないと難しいので、自動運転だと進むことができなくなるのではないかという気がしていました。ただ、日本ならそういうところに入り込まなければよいとも言えるので、それほど重要な問題ではないともいえます。
これがカンボジアだと主要道路を走る場合でも同様のことが要求されそうです。固まって進めなくなって交通全体をせき止めることになったり、逆に譲ってやるべき雰囲気のときに譲らなかったりとか色々と発生しそうです。
運転とはいっても、相手の様子をみながら、トラブルになるのも避け、逆に譲歩しすぎて何もできなくなることも避け、という高度の社会性が要求される場合は、自動運転も難しいのかもしれません。

今年読んだ本2023

12月 22nd, 2023

今年の半ばあたりから講談社の商法につられた感はあります。なんとなく興味がありそうな見出しをクリックすると、実は本の宣伝。なんとなく読んでしまう。次の本を探すのがうまくいかないことも多い中、結果としてなかなか面白い本も多かったので、よい宣伝なのだろうと思います。



「香り」の科学 匂いの正体からその効能まで 昨年は理系の本は読んでなかったなというところで。
人間の世界認識の基本は視覚が大きく次は聴覚。いずれも波の感知であり、電磁波なり空気なりの波長の違いを色なり音程なりで認識している。波長は数値による分析・理解と親和性が高い。
嗅覚は全く異なる。様々な化学物質があって、これらは個別的であり数値による分析には適さない。
仮に人間と同じだけの知性があって、ただ感覚器官が視覚・聴覚ではなく、嗅覚が中心だとしたら、空間・時間、それらを数学によって分析するという科学の発展はなく、全く違った形になっていたのではないか。
というのは本書の内容ではなく、個人的に嗅覚に興味を持っていた点です。
本書はあくまで「香り」だったのでニオイ全般についてではなかったので、上記の点について着想がすすむことはあまりなかったです。雑学知識的にはそこそこ面白いが、化学式が多め。





イーロン・マスク 未来を創る男
なかなか面白かったです。
Twitterの買収もまだゴタゴタしているようですが、これを読んだ後だと、立て直すどころか、よりすごいことを成し遂げてしまうような気もします。





物語 スコットランドの歴史 イギリスのなかにある「誇り高き国」
NetflixやAmazonPrimeでイギリスが舞台のものをみていたり、BBCを聞いていたりすると、もう少しイングランドだスコットランドだというあたりをしっかり理解したくなってきます。
イギリスについては島国なので多少日本に近いかも的な印象がありますが、こういうのを読むたびに、むしろ日本の特殊性が理解できます。



国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源
なぜ、裕福な国と貧困に苦しむ国があるのか。という主題。イギリス、アメリカ、大陸西欧、日本あたりをうまくいっている国として分類し、そうでない国と比べる。
面白かったのは、大陸西欧がうまくいったのはフランス革命でフランスがうまく行きだした後、ナポレオンが征服地域の既得権益層を根絶やしにして、新たな民主的秩序を植え付けたからとしている点。
日本の分析は日本人からするとおざなりにみえるけどだけど、このナポレオン征服の論理は東アジアの日本の征服地域が発展した理由にも当てはまるのでは?という気がしました(そんなことは絶対認めない人がいるのも承知ですが)。





NOISE  組織はなぜ判断を誤るのか?
前著のファーストアンドスローは、ここ10年で読んだ中では最高の本といえるので、大きな期待をもって読みました。
仕事上、気になっていた問題が主題ですし、それなりに面白かったです。が、ファーストアンドスロー程の内容の密度はありませんでした。





インド外交の流儀:先行き不透明な世界に向けた戦略
日経に出ていて興味が出て読んだ本。インドは重要国だが、自分の中でもイメージをつかむための情報が不足している感があったし。
マーハーバーラタの知識があることを前提に色々説明しているのが、ある意味驚異的でした。キリスト教文化圏、中国文化圏とは全く違った教養をもつ文化圏であることが印象的です。





未知なる人体への旅 自然界と体の不思議な関係
医者他様々な人生経験を有する著者によるエッセー。
エッセーではなく、もう少し知識系の本を期待したいたので、ややいまいちか。





イスラームの論理
イスラム教に坊さん・神父の類、つまり布教を職業とする人がいないというのは以前から知っていました。
この本で、ムハンマドの物語に奇跡はないということも知りました。
すごいですね。まあ、布教を職業とする人がいると、その便宜で奇跡の物語も必要となるのかもしれません。
日本人の感覚で宗教というと、仏教やキリスト教からの類推が多くなってしまうのですが、イスラム教は、ある種のまっとうさにおいてレベルが違うのだろうと思います。



また、イスラム教での神様はこわい神様のイメージがありました。この本の説明からすると、浄土真宗の阿弥陀様に近い雰囲気です。すがれば最後は救ってくれるような。





キリスト教の本質 「不在の神」はいかにして生まれたか
著者はキリスト教徒のようなのですが、そうとは思えない程、身も蓋もない話。
キリスト教の内容は多様であり、統一的に理解できるものはない。キリスト教の本質は、宗教をビジネスにしようと思う人が、そのビジネス上の必要に応じて様々なキリストの物語を紡ぎ出していって、結果として生き残っている教えである。
というような感じです。





人体最強の臓器 皮膚のふしぎ 最新科学でわかった万能性 
久々に生物系の本。とても面白かった。
少し消えかけていた免疫系の知識の記憶喚起にもなったし。





仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか 
フランス人が書いた世界にひろがる仏教全体についての入門書。
日本人が仏教と言われた思い浮かべる諸々、お経、大仏、曼荼羅、禅問答なんてあたり。おそらく、仏教の創始者のゴータマシッダールタに聞いたら「・・・」。ということだろうと思います。そういう面で、日本の仏教がなんでこうなのか、とか、世界の他の仏教はどんなかんじなのか、なんてあたりは興味がありました。
そんなあたりのイメージが多少はつかめました。仏教というのはそんなもん的な感じでしょうか。





戦争プロパガンダ10の法則
昨今の不穏な世界情勢から、双方の立場から色々な情報が入ってくるのでなんとなく購入。
残虐行為が報道されてそれに基づいて色々動き出して、でも実はそんな残虐行為は存在していなかったといのは定番のようです。





オーディブル
 今年は途中からオーディブルも少し利用。車の移動中になんとなく流しておくのにちょうどよい。逆にあまりしっかり聞かなくてもよい内容でないときつくて、買ったけど途中で断念も多数。まだ試行錯誤中。



忘れられた日本人
すごく面白かった。昔話を聞いている感じで、流し聞きや、繰り返し聞きによい。
一般的な日本人の道徳観だと思っているものが、だいぶ違うこともわかります。



ユダヤの商法
藤田田の名著。以前読みたいと思ったときは絶版になっていて、Kindleでは読めない状況だったが、いつの間にかオーディブルにもなっていた。内容は軽いので流し聞きでもストレスがない。









ダメ世代

11月 28th, 2023

最近の若者は、ますますダメになっているようです。いったい日本はどうなってしまうのでしょうか?なんてことは、自分が若者でなくなりつつある頃から、多くの人が考えがちなことです。



そんな考えをするときは、「自分のときは、こうだったのに、今はこうだ。だからダメなんだ」的な思考をします。ところで、自分の世代はどうだったんでしょうか?



私は昭和46年生まれですが、前後5年の10年あたりをダメ世代だと思っています。
その世代からは、たいした起業家は生まれてないんじゃないかと思います。それより上やそれより下は、多少いるような気もしますが。この世代から、2,3人でもユニクロ級の企業を作り上げる人がいたのであれば、日本の経済面ももう少しマシだったのではないかと思います。
起業家でなくても、ダメ世代が働きだしてから中堅どころになって社会の中核を担っている現在まで、日本はひたすら低迷しています。どのようにして、社会を侵食したのかは不明ですが。
おそらくノーベル賞なんかも、この世代からはでないんじゃないかという気もします。



というところで、何が悪かったのかはわかりませんが、自分たちの世代は何かがダメだったんです。教育がだめだったのか、社会の雰囲気が若者からハングリーさを奪ったのか、太陽からの電磁波だかなんだかの影響で遺伝子的に劣悪な人たちが生まれたのか。まあ、わかりませんが。



軽く思い当たるのは大学時代です。極楽かと思うほど、ラクで快適でした。自分にとってはよかったのすが、今思いかえすと、日本最高峰の頭脳を集めていると思われる場所がそれでよかったのかは、なんともです。そんなところでまったり過ごした人たちが、社会に出ても冴えなかったというのは、理解しやすいです。



就職氷河期世代なんて言うのもダメ世代の一部です。他の世代であれば、就職できないのであれば自分たちで会社を作るなりなんなり、海外出て活躍するなり、何なりしたのではないかと思います。



そんなわけでダメ世代の端くれであることを自重して、最近の若者のこと等はどうこう言わないよう気をつけてまいります。

中古

10月 30th, 2023

好奇心にまかせて色々とものを買ってしまう人は多いと思います。
私もその類です。
おそらく原始的な行動の名残りで、狩猟採集時代であれば、森の中をウロウロして珍しいものを探し出す遊びをしていたのだろうと思います。



さて、森の中で拾ったモノであれば役に立たなければ捨てるなり燃やすなりして終わりです。または貝塚のようなものになったのかもしれません。
好奇心にまかせて買ったものは、捨てるにすてられず何年も使わないままになっていきます。部屋が散らかって、置き場もなくなってくるのですが、使えるものを捨てるということに対する心理的抵抗もあり、どうにも困っていました。



近くに中古用品店がちょこちょこあるのは気がついていましたが、最近になって、ここで買い取ってもらうという行動が始まりました。値段的にはたいしたことないのですが、捨てずに済むという部分でありがたいです。



そんな中、中古サイトでカバンを見つけました。今使っているカバンがとても使いやすいのですが、いい加減ボロくなってきていました。で、今年になって同じものを買おうとしたのですが、いつの間にか廃番になっているようで手に入りません。新品の倍近い値段ででているところもあり、悩んだ末エイヤで買ってみたが結局なかったなんて状況でした。そんな折、きれいな中古品が新品の半額以下で売っていたのです。
まあ、中古市場というのはありがたいものです。



思えば、当事務所のスタートは、中古のオフィス家具や周りからはじまったともいえます。当時手に入れた中古の家具のいくつかはいまだ現役です。その後新品で購入した椅子より長寿命でした。



そんなことを考えながら、徐々に色々なものを片付けてます。

フードロスと冗長性

9月 29th, 2023

無駄がないこと
だったり
予想通りぴったり正解すること
というのは気持ちがよいことです。



なので、無駄が出たり、予想からはずれたりすると反省して改善点を考えたり、諸々します。
食事を用意して、食べ残しが出ると、多かったのかと考えたり、「残すな」とアツをかけて完璧を目指したくなります。反面で、あっという間に全部食べてしまうと「足りなかったのではないか」と気になります。



その日、どの程度の食欲があるのかは正確には事前には把握できません。なので、ピッタリ完璧を目指すということ自体、どだい無理な話です。
これは、答えのない問題に対して、答えがある問題に対する方法を適用する誤りの典型と言えます。



その日、どの程度の量を出すのが正解かは事前にはわかり得ない事柄です。ですので、対処法としては、まず「多少余ることがっても、足りないということはないようにする」ことと「残さないようにすること」のどちらかを優先するのかを決めることになります。
前者の場合は、いつも少しだけあまるくらいが正しいありかたです。
後者の場合は、いつも少し足りないけど、残ることはなというのが正しいありかたです。



そういう観点からすると、大量の食料が廃棄されて無駄になっている。このムダをなくせば、食糧不足を解消できるというのは、おかしな考えということになります。



世界の皆さんが飢えないにするためには、大量のフードロス(つまり食べ残し)がでるような体制が必要です。逆にフードロスをなくすという方向は、大量の飢餓を生むことになります。



もちろん、どちらの方向をとるにしろ、極端にふれないことが大切です。どう考えても食べきれないような大量の食事を用意したり、米粒ひとつだけ用意して食べ残しがなくなるということではありません。なので「足りないことはないようにする」という方向と取る場合は、たいていの場合、少しだけ余っている、というのが正解の感触ということになります。そこに「無駄がない」「予想通りぴったり」という快楽はありません。



これは、実は多くのことで、大事な感覚です。
商品の仕入れ量でいれば、いつも完売するのではなく、少しだけ余るのが正解
商品の値決めで言えば、たまに「高いからいらない」と言われる程度が正解
遅刻はしないと決めているのであれば、たまに早く着きすぎるのが正解
人間関係で言えば、たまに自己主張しすぎて気まずくなることもあるのが正解
なんて感じです。



とまあ、理屈ではそうなのですが、この感覚は人間の自然な思考法にからすると、ややきついようで、なかなかそれどおりでないことは多いような気もします。

2023アジアンラリー(タイ・ラオス)完走しました

8月 29th, 2023

今年も、完走しました。
昨年初出場し、最遅ライダーながらノーペナルティー,ノーコケで完走という満足いく結果でした。
でも、常連に言わせれば「2022は簡単すぎた。こんなのアジアンラリーではない」とのことで、微妙なケチもついていました。
さらに、今年はラオス。こんな機会でもないと行くことができないところです。しかも、観光旅行では行くことができないようなところを走れるのもこのラリーの魅力。
ということで、今年も参戦です。



今年は、私もトラブル続発です。
まずは、数少ないラリーの経験ながらマップ(走行中に読む簡易地図)の読みには自信があったのですが、早速その自信を砕かれて、ロスト(道に迷ってなんだか分からなくなること)を経験。で、ペナルティ発生。それ以降は謙虚になって、他のライダーの動きも観察するようになりました。



また、2度ほどコケました。一度は、意味不明に突然。もう一回は深い水たまりで失速して立ちごけ気味。長期間のラリーでコケないことは普通はないので、まあ、普通になったのですが。ノーコケは維持できず。



さらに水没。
ラオスでは深い水たまり、池、川に突入するので水没対策、復旧の練習をして参加するようにというのが主催者の事前連絡。私は水没→エンジンが水を吸い込んで動かなくなる→ガソリンタンクを外しプラグを外し等色々して復旧ということを自分でする自信がなかったので、ショップに秘密兵器(空気の吸入口を伸ばすシュノーケリング)を作ってもらいそれで乗り切るつもりでした。
でもラオス初日の激しい段差の跳ね上げ連続1時間超で秘密兵器はあえなく紛失。ラオス二日目の初っ端でバイクが渡るべき橋が目に入らずに川(池?)に突入し腰のあたりまで水に使ってエンジン停止。スタート早々、あきらめるのも何なので、昔、ベテランライダーが水没復旧していたのを見た記憶を頼りに復旧作業を開始。セルを回して水がエンジンから吹き出し、元に組み直すと無事、エンジンは始動。やった!
アジアンラリーに出てますとか言いながら、「水没復旧はできません」というも格好悪いなあと思っていたので、自信になりました。



そんな感じで今年は色々ありました。
とはいえ、全体には気がラクでした。昨年はあっという間においていかれてほとんど一人で走っていました。今年は自分より遅いバイクが何台かいる上、自分と同じペースのバイクもある程度いて中の下あたりの集団に属していたからです。ライダーとしては私よりうまいのですがバイクの違いで遅いのです。



で、全般に「今年のアジアンラリーは難しかった」との評価。そんなわけで、ケチなく完走です。



なかなか、諸条件が整わないと出場できないので気軽に「来年も」とは行かないのですが、1年に1週間追い詰められた状況で必死になる、その1週間に向けて1年間様々な準備をする、というのは諸々よいような気もします。



なぜ今年のスワローズは弱いのか

7月 30th, 2023

今年は3連覇の期待がかかっていたはずですが、低迷しています。



で、頭の中は色々と原因を探しだして感情をも刺激します。



  • 昨年まで成功の一因とされていたゆとりローテーションを今年はなぜやらないのだろうか


  • 村上があれだけ不振であればしょうがない


  • 塩見や山田の故障がおおきい


  • マクガフの穴がおおきい


  • 中村や長岡が打たなすぎる


  • 昨年まで元気だった中継ぎ陣はどうなってしまったのか


まあ、いくでも出てきます。
でも、見方を変えると、



なぜ3年前最下位でたいした補強もしなかったのに2連覇したのだろうか?今年は3年前に戻っただけなのではないか?むしろ、不思議なのは強かった2年間なのではないか?
という気もします。



結局のところ人間の頭は原因と結果という因果関係という枠組みで物事を考えたがるのですが、現実はそのような枠組みで把握できないことが多いです。



「何が原因だ」「何が原因だ」「考えろ、考えろ」と頭は動いていて色々と原因を紡ぎ出します。が、冷めた見方をすれば「無数の原因が複雑に絡み合って出来事が発生している」としか言いようがありません。なので、「特定の原因を見つけ出して対処さえすれば事態は好転する」なんてことはないのです。



もちろん物事の中には、原因を見つけ出して対処することによって改善することも多くあります(「ネジが緩んでいたので締める」とか)。ただ、この手法が有効な分野と有効でない分野をうまく区別することも困難です。
歴史的・社会的出来事の大半は因果関係分析は有効でないです。「日本はなぜ、太平洋戦争に踏み込んだのか」「日本はなぜ、非白人国家のなかで先進国になれたのか」なんてことも、1つか2つの原因(前者であれば、軍部の暴走、財閥の陰謀、アメリカの陰謀、国民の熱狂等)を見つけ出してそれに基づいて説明したがりますが、実際は「無数の原因が複雑に絡み合って出来事が発生した」としかいいようがありません。
おそらく医学的・健康的出来事の大半もそうだと言えます。単純に原因となるバイキンを殺す薬をバイキンがいそうなところに対処してうまくいくことはあまりないです。この分野で、うまくいくのは「ネジが緩んでいたのを締める」レベルに落とし込める場合だけなのでは、という気さえします。



難しいのは、因果関係で考えるのは無意味だし、他に対処の方法もないから放置すればよいと、言い切れないところです。スワローズが今年弱いのは「無数の原因が複雑に絡み合って出来事が発生した」ので、色々考えることは無意味だ、という方針でいくのと、気難しい人からすれば無意味とはいえ、色々と原因を分析して対処するということを繰り返すという方針で行くのととでは、後者のほうが成果がでそうな気がします。



何にしろ、たいした出来事もないのに、極端に強くなったり弱くなったりするスワローズはなかなか、頭も刺激してくれます。

温暖化と人口問題

6月 28th, 2023

地球温暖化は、ごく当たり前の事実とされ、それに対して対策を取ることも当然の責務とされています。
この問題を考える上で、参考になるのは日本の人口問題です。



日本の少子化が問題とされ、人口が減少して大変なことになると、これはこれで騒いでいます。
でも、ほんの何十年か前、人口が増加しているときは、「このままでは大変なことになる」と騒いでいいました。で、海外への移民を推奨したり、「明るい家族計画」という自動販売機があったり、女性の高学歴化を推奨したりして、なんとか人口増加を抑え込もうとしていたわけです。



で地球温暖化。100年後の世界で仮に今より気温が2度程高くなっていたとします。まあ、場所によっては今より過酷な状況になるところもあるのでしょう。
ここで、何らかの人工的な要因(新たに使われた化学物質でもよいし、地球上を太陽光パネルで覆い過ぎたせいでも良いし)で、地球の気温が下がり始めたと誰かが言い出す。そうすると、きっと「このままでは大変なことになる。氷河期になる」と騒ぎ始めるわけです。
別に、元に戻るだけの話なのですが、2度気温が高くなった世界では、それに応じた順応がなされて秩序が形成されていますので、やはり元に戻ると困る人がでるのは当然です。



まあ、そんなところです。結局、何かをみつけて騒ぐということです。気温が一定化して、人口も一定化しても、何かを見つけ出すに違いありません。
人間の認識構造(ネガティブ情報に非常に敏感である)、意識構造(勧善懲悪的な世界観の中で人生を解釈したがる)と集団的な行動原理との組み合わせで、人間社会の必然ともいえる現象といえます。「もう、そういうのやめにしようぜ」といったところで無駄です。なので、そういうことは言わずに、一緒に騒ぐのが上策かもしれません。

甘草コーヒー

5月 14th, 2023

10年程前から自宅でのコーヒーはネスプレッソだ。
相当程度に美味しいコーヒーをボタンひとつで飲むことができる。
微妙なコーヒーの風味を「ああだこおだ」言ったり
ネスプレッソなんて飲めたもんじゃないと言ったり
自分でドリップしてこそと言ったり
する趣味は持ち合わせていないので、十分に満足だった。



唯一の欠点は、値段が高いこと。
でも、まあ、手間を考えたらと思っていた。
しかし、何年か前に値上げがあり、しかも自宅で仕事をすることが多くなる。
そうすると1杯100円近いコーヒーを、味も考えずに5杯も6杯も毎日飲み始めることになり、
カプセルを買う負担感がきつくなる。



で、互換カプセルを試してみる。
これが、おいしくない。
コーヒーの味にこだわるつもりがなくても、独特のにおいがどうしても気になる。
どうにも許容範囲を超えていて破棄するしかないものもあるが、
なんとか「そういうもの」と思えば飲めるものもある。



許容範囲のものは、砂糖やメープルシロップを入れたり、シナモンの粉を掛けたりすると、
まあ、飲めたもの にはなる。



昨年のある時期、喉がやたらに痛い風邪だかなんだかになった。
苦痛があると、たいてい対処策を考える→購買意欲に結びつけるという形で気を紛らわせることが多い。このとき、ピンと来たのがカンゾウ(甘草)だ。
漢方薬にはよく入っていることが多い。どうも消炎鎮痛作用があって、喉の痛みにはよいらしい。
この痛む喉に、ガンガン甘草の粉を浴びせかけたいという考えが魅力的となる。
漢方薬の成分はもっともらしい名前がついていたりするが、何でもない植物の類のことが多い。
麻黄あたりは色々あるので、大量に安価購入はできないが、甘草なんてただの草の気がする。薬として、ありがた値段で買う必要があるのだろうか。
ということで調べてみると、やはり100gで600円強というのを発見。
甘草湯という漢方薬で買うと、5g程度で1000円近くすることもあるようなので、だいぶ違う。
で早速購入。ガンガン浴びせかけようと思うが、ちょっと調べると大量摂取は副作用があるようだ。
なので、少しずつ利用。結局、湯に溶いて、ちょろちょろ飲んだりして、甘いのと「治るかも」という期待で気休めにはなるが、実際、喉の痛みにガツンと聞いた感覚はなかった。



で、大量の甘草が余ることになり数ヶ月。
まずい互換コーヒーに砂糖等を入れるとはいえ、最近の健康トレンドとしては砂糖は避けるべきと思えていた。で、甘草。これが、砂糖の150倍以上の甘さがあるとされる。
ということで、砂糖の代わりに甘草を入れてみることにする。
甘草は甘いだけでなく、当然、漢方っぽい独特の風味を持っている。漢方薬がきらいな人はきらいだろう。
この強烈な風味は、互換コーヒーの変な臭さに打ち勝つ。で、すごく独特の漢方コーヒーのようなものになる。どこかの国で「これが現地で飲まれている〇〇コーヒーです」と言われてその場では飲むが日本でまた飲みたいとは思わないようなそんな感じの変わったコーヒーだ。
私自身は、最近は、おおかた毎日飲んでいる。



アメリカ国立がん研究所のデザイナーフーズというのがある。
がん予防に効果がありそうな食べ物をピラミッド状の図に書いたもので、頂点にあるのは にんにく。で、その次に来るのは、キャベツとか大豆・・・、なんと甘草も含まれている。
つまり、砂糖を入れるなら甘草を入れろ。
ということで、そのうち甘草コーヒーが大人気になるかも。