偶然は均一ではない

以前何かで,下記のような話をききました。

サイコロを振ると,確率としては,各目がでる確率は6分の1ずつです。
でも,6回振ると,1から6まで1回ずつでること(つまり均一)は稀で,
3ばかり3回出て,2と5と6は全然でない
(1,3,3,4,1,3とでる場合等)
と言う風に,まばらになるということです。
何百回もやれば,大数の法則により,各目がでる割合はほぼ一緒になるのですが,
数が少ないと,非常に不均衡に目がでるのが普通のことです。

これには「なるほど」と思い,その後も偶然が均一でないことは常に意識しています。

というのは,偶然という言葉のひびきの中に,「偶然である以上,均等に物事がおこる」という錯覚を起こすニュアンスがあるからです。
そこで,上記の例で言うと,3ばかりでてしまうと,偶然ではなく,何か特別な意味があるのではないか,と考えてしまいたくなるわけです。

仮に,良いことも悪いことも,長く見ると,五分五分に起こるとしても,それが偶然であれば,均一に起こるわけではなく,不幸が続く時期が生じます。
そうすると,「最近は悪いことが続くが,何か悪いモノが憑いているのではないか」という気分になります。
そこで「偶然でも均一に起こるわけではない」というより「偶然であるからこそ,均一でないんだ」と言うくらい強く思うようにしています。
そうしないと,どうしても,何か隠された理由があるのではないかという気持ちに振り回されるからです。

以前,ヤクルトの高津選手や石川選手について,長期的に確率の高いピッチングをできる心の強さで大成したようなことを書きました。
これも同じことで,長期的にそこそこ抑えるピッチングスタイルでも,偶然によって打たれる時期が続くことが生じます。
そうすると,「ピッチングフォームを見抜かれているのではないか」「もう自分のスタイルでは通用しないのではないか」という弱い気持ちが生まれるのが人の性です。
でも,そういう気分に負けずに,自分のスタイルを貫けるところが,高津選手や石川選手の素晴らしいところです。

私自身,弁護士仕事にしろ,事務所の運営にしろ,100%成功するような問題ばかりではなく,100%ではない中で,より確率の高い方法を考えざるを得ないことは多々あります。
でも,相対的に高い確率だと信じて始めた方法を実施しても,うまくいかないことが続くこともあります。逆に,予想以上にうまくいってしまうこともあります。
その場合も,それぞれの原因を冷静に分析するとともに,その中でも「偶然は均一ではない」ということも常に忘れないようにしています。

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