専門家の意見と専門的知見

今回の震災によって,多少ゆらぎましたが,世の中専門家信仰が盛んです。
ひとつは,マスコミが何かと専門家,専門家と持ち出すからかなあと思うのですが,
何かと専門家の意見は尊重されます。

専門家の意見の尊重それ自体は,法律の専門家である弁護士としても,悪くはないのですが,
何か,「専門家の意見=正しい 」という図式があり,これには強く違和感を覚えます。

「専門的知見」と「専門家の意見」の混同があるような気がします。
専門的知見は,(厳密には科学法則といっても仮説には過ぎないとはいえ),基本的に
正しいものと言えます。

法律でいえば,専門的知見というのは,民法○条に・・・という規程があるとか,最高裁がこのような判断をしている
とかそいういうことです。
でも,このようなことは,マスコミ等で紹介する場合も,わざわざ専門家の意見として紹介する必要はなく
そのまま条文や最高裁判所の判例を紹介すればよいわけです。

争いのない専門的知見から進んで,専門家によって意見が分かれるような領域になって,初めて専門家の意見が
出てくるのですが,そうなると専門家によって意見が異なるわけですから,どの専門家が言うかによって,結論が異なる可能性があります。
何らかの記事があって,専門家は「・・・・と批判している」と書いてある場合,あたかも,その分野に詳しい人が批判しているおかしなことが
行われているようにも見えます。
「すべての専門家が批判している」のか「専門家の中には批判する者がいる」のかは大きな違いで,
実際には,後者に過ぎないのに,前者に見えるレトリックがあるわけです。

もちろん,異なる意見があると言っても,専門家の中にAと言う人と,Bと言う人はいるが,Cと考える人はいないということもあります。
この場合,Cという考えは荒唐無稽なんだということが分かりますが,
この場合はむしろCはありえないというこが専門的知見の領域にあるといえます。

とそんなことを考えながら,新聞やテレビを見ていたところ,震災が起きて,放射能の問題がでてきて,少しこの問題が社会的にも
意識されるかも知れません。

専門家の考え=正しいと思っていたら,放射能については専門家がバラバラのことを言って,訳が分からなくなってきたからです。
これも,専門的知見と専門家の意見を区別して考えれば,何のことはなく,
「低レベルの放射線の人体への影響については専門的知見はない」ということで,ないからこそ,意見が分かれているわけです。
「高いレベルで人体に悪影響がある」ということは専門的知見ですが,そのことはわざわざ専門家に意見を述べさせる必要はありません。
単にそのことを説明すればよいわけです。
低レベルの放射線の影響については,高レベルと同じくかなり悪い,量に比例して影響は減る,一定限度以下は影響ない,むしろ健康によい
と色々考えがあり,それに決着をつけるデータがないということです。
せっかくですから,今回のことをきっかけに大規模で長期的な調査をして,この問題に決着をつけるとよいと思います。

裁判でも,色々と専門家の鑑定だなんだで意見が出てきますが,やはりそれが専門家の間で争いがない専門的知見なのか,
その専門家個人の専門的意見なのかということは常に区別して考えなければならない問題です。

 
 

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