修行の心

中国でもよく売れているらしいということで
稲森和夫氏の『生き方』
を読みました。

さすがに当代一流の経営者の書いたものですので
含蓄がありますが,宗教色があるため
どうしても,現世の欲に否定的になり
やや線香臭さがあります。

仏教的な欲の否定の発想は
若い頃から何度も考えてみましたが
未だになじみきれない部分があります。
(少なくとも自分の場合は,単に無気力になりそうで)

そのあたりは,この本でもちょこちょこ引用され
稲森氏も師事しているとされる
中村天風氏の発想のほうが
欲あっての人生という雰囲気があり
共感しやすいです。

また,同じく経営者の書いた本でも
色々スタンスがありますが,
藤田田(日本マクドナルド創業者)の
「金儲けの秘伝を教えてあげよう」
という怪気炎が一方の端だとすると
真っ正面から道徳を説く,本書は
逆の端の気がします。

さて,またもやと思うのは

苦難は修行だと思ってありがたく受け止めろ
というあたりです。

もう5年も前でしたら辛気くさくてやってられんと
思いましたが,
最近は私も,心がけるようにしています。

何年か前に朝日新聞の日曜版で偉人の言葉を紹介していたときに
森村市左衛門という人のそんな趣旨の言葉があって
少し感ずるところもあり
そのとき買ったばかりのタブレットのカメラでパシャッと写しておきました。

どちらかというと怪気炎系の本である
サイゼリア創業者の正垣泰彦氏も同じようなことを言っているので
まあ,そう思わんとやっていられないという現実もあるにしろ,
またもやとおもったわけです。

仕事上の苦難を修行と受け止めろというのは
禅的な発想だと思います。

以前,『逆説の日本史』で有名な井沢某さんが,
日本の経済的成功の要因は儒教でなく禅の考えだと書いていたのを読みました。

つまり,マックスウェーバーは,西欧における資本主義成立に重要な役割を果たしたのは
プロテスタントの勤勉性であると指摘したのは有名な話ですが,
日本の場合は,儒教が同じ役割を果たしたと言われています。
でも,儒教だったら中国や韓国も同じように発展したはずだから,
禅だという趣旨の話だったと思います。

仕事上の苦難を修行と受け止めて精進するという発想は
確かに産業発展の上では,大きかったのかも知れません。

以前,どうにも大変なことが続いていたときに,
ふと思い立って織田信長の不幸年表を作ってみたことがあります。
すごいことになります。
常人であれば,その不幸を後生大事に抱えて,呪いの人生を送りそうな
又は,可哀想な自分という甘い蜜に引きこもりそうな出来事
が,1年に何回も起こり, そんな年が何年も続きます。
そして,1年程平穏で,また何年も大変なことが続きます。
正直,それをみたときに,自分に起きている問題の些細さに
気づかされました。

大きなことに挑戦すればするほど,
どうにも大変なことが降りかかってくる 。
そうであれば,それは積極的に受け止める以外に
ないのですが,実際はなかなか大変です。
なんとか頑張っていこうと思います。

 
 

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