ロボット

先日、NHKで
東日本大震災での原発事故をきっかけに
人型ロボット開発が加速しているという番組をやっていました。

私も、原発事故があったときは
「アシモはどうした」と思い
その後しばらくして、アシモが被災者を相手に
踊って慰労しているという話を聞いたときに
「踊っている場合か」
と思いました。

結局、デコボコなところでは全く歩けないということで
役に立たなかったということのようです。
随分前に、踊っていましたので、
デコボコくらい、とうに歩けるだろうと思っていましたが、
むしろ、人間とオシャベリするとか、そういうとこが進化していたようです。

でも、アシモの開発者たちは、
原発事故で役立たずだったことは、
かなり悔しい思いをしているようで、
鋭意、開発を進めているようでした。

さて、人型ロボットが
将来、自分で判断して動き回るようになる社会が生まれるのかどうか
それは、分かりませんが、
その場合に、必要になってきそうなことがあります。

それは、道徳を一義的にすることです。
よいこと、悪いことの判断は、
論理が介在しているように見えて、矛盾だらけです。

どのような場合に、何をするのが良いことで
悪いことなのか。

結構、矛盾した判断が生まれますが、
人間の場合は、適当に力関係だったり
「良心」という名の気分にしたがったり
打算に基づいたり、まあ
適当にしてしまっています。

でも、プログラムによって動くロボットに
矛盾は許されません。

ある一定の場合の、行動ルールを
明確に決めておかなければなりません。

救助ロボットは、1人を殺して10人を助けるのか
何もしないのかということを
あらかじめプログラムしておかなければならないのです。

私は、大学時代は
哲学的な研究にいそしんでいたのですが、
道徳的を一義的に(つまり論理的に矛盾なく)
表現できるか、というのは大きな関心でした。

哲学の分野では、こういった分野は
決疑論(けつぎろん)と呼ばれていますが
あまり重要でない問題として扱われています。

でも、ロボットが人間社会で自主的に動くようになるためには
実務的に重要な問題になってくると思われます。

 

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