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たわけたことか

火曜日, 10月 13th, 2015
たわけた、というのは田を分けるような馬鹿げたマネ 等と説明されることもあります。
その語源が正しいかはさておき、仕事のモトデはいたずらに分けない方がよいというのは説得力があります。

さて、今の日本の法体系上、たいていの財産は最終的に生きている個人(法律上、自然人とも言う)に帰属しています。
国や自治体の財産や、一部特殊法人の財産は違うかもしれませんが、会社という法人の財産も株主たる誰か個人の財産という形になります。株主が法人であればその法人の株主ということで、最終的には個人に行き着くことが想定されます。

ということで、個人で事業をしている場合であれば当然、その事業用の財産は何らかの事業用の財産としての区別されるわけではなく個人の財産にすぎませんし、法人化して事業をしていたとしてもその法人の株式は個人の財産ということになります。

人も雇わず小さく事業をしているのであれば、大きな不都合はありません。
でも、ある程度の規模で事業を行っていれば、会社の財産、設備もそうだし、運転資金として必要とされる預貯金も、あくまで事業存続のためのモトデという性格を持ちます。
これをワケてしまい事業外に流出させれば事業の存続が危ぶまれ、その事業を生活の基盤としているほかの従業員の生活も脅かされます。

ところがあくまで法律上は個人の財産に過ぎないわけなので、事業主や株主兼社長の個人のゴタゴタに巻き込まれてしまうことになります。
つまり、社長が離婚になれば、奥さんは会社財産相当の半分を要求することは多いですし、相続になればその相続税の支払だったり、事業を承継しない相続人が均等相続を要求してきます。その要求に応じた場合、会社のモトデは失われ、会社が危うくなりかねません。

株式が上場していればそんな問題はないのですが、社長=株主という中小企業であれば、そのような法制度からくる個人紛争の荒波をもろにかぶることになります。

戦前の民法は家督という仕組みがありました。相続も家督を継ぐことになりますし、離婚に際して家督の半分を要求なんてできませんから、上記のような不都合は生じません。家という事業体の存続をはかる上では合理性があるといえます。

現代社会は企業社会であり、企業は社会の大半の人にとって収入の源であり、大半の時間を過ごす場所であり、少なからぬ人にとって自己実現の場としての意味を持っています。現代社会を多くの人にとって快適にするためには、企業という職場を安定させることは必要な要請です。そして、多くの雇用は中小企業が生み出しています。そうなると、企業体の存続が個人の離婚や相続によってゴタゴタするというのは、合理性があるとは思えません。

個人事業の場合であれ、社長=株主の個人企業であれ、家督のように、タワケたことが起こらないような法制度があってもよいのではないかと思います。