競争回避

私の諸々の社会的属性、職業、学歴、業界内での位置付けあたりからすると、特異かと思いますが、私は競争や勝負事があまり好きでなく、モチベーションの原動力としても微弱です。

おそらくのところ、人格形成期初中盤において勝負に勝てないことが続いて競争回避的になった上に、人格形成期終盤に試験能力はあることに気づいた後は、他人と競争するような環境にいなかったことに由来するのではないかと講釈付けしています。
勝負に伴う感情がないわけではなく、勝ったことによる喜びよりも、負けたことの苦痛や負けさせたことに対する苦痛が予感されて、面倒になってしまうというところかと思います。

例えば、スキーは好きなのは、スポーツの中では珍しく、人様と勝負もせず、時間等の数値とも比較されずに、行うことができるからかもしれません。ここ何年か水泳も続けていますが、時間を図るという行為とは無縁です。

弁護士の仕事を回避して経営仕事に専念するようになったのも、おそらくは同根かと思います。なお、当事務所の他の弁護士は闘争心・競争心にあふれていますので、ご安心ください。

では、事務所運営において、競争心はどうなんでしょうか?
ありがちな経営理論としては、「一番か無か」的な理論です。一番のみが大きな利益を手にすることができる、一番でなければ経済変動で潰れるといったあたりです。よく、日本で一番の山が富士山であることは誰でも知っているが、二番目に高い山は多くの人が知らない、なんて例が出ます。こうなると競争心は、とても大切ということになります。

でも、一番というのはそいつがいなければ、二番のやつが一番になるだけであって、そいつがいようがいまいが根本的にはどうでも良い話です。富士山がなければ、北岳が一番の山になるだけのことです。

でも、富士山の例で言えば、北岳が日本一であれば、富士山のようになれたかというと、きっとなれないと思います。せいぜい、信濃川(日本で一番長い川)の仲間にしかなれないでしょう。

競争心が強い人にはピンとこないかもしれませんが、富士山は一番高いことだけがすごいわけではないです。単に一番高ければ富士山になれるわけでありません。台湾が日本領だった頃は、富士山は日本一高い山ではありませんでしたが、それで富士山の価値が落ちるわけではありません。
(なお、このように書くと富士山大好きで、北岳くだらないと思っているかもしれませんが、北岳は私の登山時代のクライマックスとして、バットレスに登りましたので思い入れの強い山です)

ということで、一番になるとか、数値との勝負で大きくするというのはイマイチ魅力が乏しいと思えます。どちかというと、びっくりさせる、度肝を抜く、感動の涙を流させる、誰も考えていないことを引き起こすといった方向性の方が、成功に対して痛快さを感じます。

当事務所の運営としては、できるだけ競争を回避して生き残りつつ、いつかは当事務所がなければ生じ得なかったようなこと(もちろん良いことで)を起こした(起こし続ける)事務所と言われることを目指していきたいと思います。

Comments are closed.