サマータイム

サマータイムの導入が見送られたとのことです。
サマータイムの意図は色々あると思いますが,朝が苦手な人には,健康カルトの一分派のニュアンスが感じられます。
煙を敵視するように,そのうち早起き条例ができたりして,という感じです。

朝が苦手でなくても,様々な事情でぎりぎりの早起きを強いられている人は,よほど完璧に,すべての時間がシフトしてくれないと
過酷なことになりそうです。

いつ起きていつ寝るのかというのは,社会全体のみならず個人の問題としても,難しいところです。
私自身は,未だに,地球の自転との折り合いをつけることがうまいことできずにいます。

ここのところの読書対象は,主に翻訳物で様々な知見を解説したものが多いです。
その中で,ある種トレンドを感じるのは,狩猟時代に戻れということです。
農業を始めたあたりから人間は色々苦労し出した。
現代も狩猟採集をしている人は,現代人が苦しむ病気と無縁である。
だから

といった論調です。
それなりに説得力がありますが,多くの人は,苦手な虫に出会ったとたんに,現代生活への執着を確認するものと思います。

狩猟生活の話は食事や運動のことが多いのですが,睡眠については,昼寝をチョコチョコしている様なことを読んだ気がします。
自分の休日の生活を考えると,おそらくは複数回の昼寝というのは,快適かもと思っています。
もっとも,平日でも気が向いたときに昼寝するようでは,現代社会の諸々の営みから排除されてしまいます。
「使える」人間になるというのは,狩猟生活的精神性とお別れすることと表裏なのかもしれません。

おそらくは現代社会が要請する規則正しい協同作業に自分をあわせること,
時間にあわせて生活すること
そういったあたりが人の体調をさいなむのかも知れません。

というところで導入するなら,サマータイムではなくて,
一切時間に縛られなくてよいノータイムデー?のような日のほうが面白いかも知れません。

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