屈服


同調圧力に屈したら同罪になって,自分も圧力をかけることになる。
と思いながら,ささやかな抵抗をしてきましたが,これ以上は危険と思われるのでマスク族の仲間入りです。
辮髪やチョンマゲや鼻輪の類もこのような流れだったのでしょうか?



マスクについていうと,現状の印象としては,期待値プラマイ0。
つまり,マスクが何らかのプラスの作用を及ぼす場合と確率,かえって有害である可能性と確率をかけたり足したりすれば,プラマイ0だろうという印象です。



当初はWHO等は,マスクの有効性を否定していたのに,何ら新たな研究成果がでたわけではなさそうなのに,いつの間にか世界中でマスク推奨です。人間の言う「科学」というのはこのようなことなのでしょう。



ウイルスは飛沫で感染するから,飛沫を防ぐことによってウイルスの感染を防げるのは当たり前ということのようです。医学の歴史を振り返れば,この手の理屈がうまくいった試しはほとんどないことはわかるはずです。
無数の幸運な偶然が重なって,抗生物質を生み出すカビが,治療用の抗菌物質を探していたフレミングの研究室に降り立ち,フレミングが発見する。ところが,フレミングはこれを治療用の抗菌物質として最後まで利用しなかった。
なんていうようなことの連続が医学の歴史です。
人間の「ああなればこうなる」的な思考の枠組みは,医学的発見に適していないのでしょう。ぐちゃぐちゃと無数の偶然と失敗と成功が入り交じる中で,何かをわずかずつ学んでいく。



ともあれ,私自身,マスクが無駄だと確信しているわけでは,もちろんありません。わからん。有害無害五分五分だろうということです。



このような判断を理解するのも人間の思考回路が苦手とするところです。



将来,結果として,マスクの有効性が判明した場合,私は間違っていたことになりますし,マスクの有害性が明らかになったとき,私は正しかったことになります。
そういうことではないのですが,人間である私も,前者の場合は苦痛を感じて,マスクの有効性を否定する材料を必死に探そうとするでしょうし,後者だった場合は「それみたことか」という気がします。



もうなんのことだかわからなくなってきますが,なにはともあれ,敵意を気にせず電車で過ごすようになっています。

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