Archive for the ‘マイタウン法律事務所’ Category

一歩

木曜日, 7月 29th, 2021

最近、車の世界の電動化の話が一気に進んでいます。もうエンジンはやめる、という政府方針やメーカーの発表が相次いでいます。この方向がいつまで続くのか、わかりませんが、本当にそういうことになる可能性もそれなりにあります。
社会の変化がおこる中で、様々な出来事が発生します。伝記作家にかかれば、些細な出来事が偉大な一歩ということになりますが、実際には、同レベルの出来事は無数にあるのでしょう。



さて、今年も私はレース活動にいそしんでいます。私が出ているオフロードバイクレースには、普通のレースでは、あまり考えにくい、2つの特徴があります。
1.マシンのレギュレーションがない。
基本的にどのようなバイクで出ても、違反にならない。ということです。超絶馬力のスーパーマシンで出てもよいのです。というのは、そういうマシンででても、あまり役に立たないからです。
2.トッププロ参加レースに、参加資格がない。
当たり前ですが、どこかの金持ちが「F1に俺も出る!」と言っても出ることはできません。F1のドライバーになるには、たくさんの階段を上る必要があります。
ところが、私のでているレースでは、国内トップカテゴリー(つまり、プロが真剣勝負を繰り広げるレース)に私も参加できるのです。これは、レース内容が障害物競争的なところもあるので、トップライダーを邪魔する遅い素人ライダーは動く障害物としての役割を担うからなのかなと思います。



ということで、先日、国内トップカテゴリーと思われるレースに、たぶん(しっかり調べてないので、過去に実はいるかもしれませんが)、初めて電動バイクで参戦しました。結果は・・、途中の坂が上れずダントツのビリでしたが、まあ新たな挑戦というのはそういうものなので。



オフロードバイクでレースをやっている。会場は夏のスキー場とかが多い。という話をしても、会話相手が映像を思浮かべることに困難を極めてしまうことが通常です。さらに、電動バイクで、となると全く不可解なことになってしまいそうですが、当面、挑戦を続けてみようかと思います(まあ、トップカテゴリーの再参戦は、もう少し研究してからにしようと思いますが)。




意識の役割

土曜日, 6月 5th, 2021

最近の思い付きです。



意識が体が動かすのではなく、体は勝手に動いていて、意識はそれを解説している。
なんていうと、意識は「そうではない」という気分にさせますが、自分の動きを冷静にみていると、やはり体は勝手に動いています。
飯を食っているとき、意識が別のことを考えていたって、淡々とごはんを食べたり肉を食べたりしています。で、聞かれれば、「肉を食べて、口がしょっぱくなったから、ごはんを食べた」なんて、まるで一つ一つ意識して行動していたように説明しますが。実際はそのようなことは後付けのようです。



気になるのは、何故、意識が自ら体を動かしているかのような気になっているのかということです。
思いついたのは、社会的動物としての人間が、他の人間とコミュニケーションを図るための便宜として、意識というものが発生したのではないか、ということです。



たとえば、川に向かって体が動いているとき、他の人間にそれを伝えるために、「自分は川に向かっているようだ」と伝えよりも「自分は川に向かっている」というほうが簡便です。川に向かっている理由としても「のどの渇きを感じているので、おそらく水を飲むためだろう」というより、「水を飲むためだ」と答えたほうが簡便です。つまり、意識が体を動かしているように説明したほうが、コミュニケーションが簡便になります。
その簡便な形態を真にうけて、ぐるぐると動いているのが意識というあたりでしょうか。



そのようなわけで、意識は人と話していないときでも、自分の行動や意図を他人に説明し続けているのではないかという気がします。



宗教というものが要求されるのも、そのような次第かもしれません。神様は、自分を説明する相手として、とても安定的です。



痛みというものも違って見えてきます。よく、痛みを感じるのは、それによって体を休めるため等とも言いますが、体を休めるためには他の手段もありそうです。あえて、意識が痛みを感じるのは、他の人に「痛い、痛い」と言うためなのではないか、という気がしてきました。



ところが、状況によっては、「痛い」ということを伝えないほうがよい場合もあります。そんな風に、意識を正直に伝えないほうがよい場合に備えて、自意識とでもいうものも発達して、意識が感じていることをそのまま、他人に伝えた場合の利害得失を計算するようになっている。



なんてところで、意識についての思い付きによって、多少、物事の見方が変わってもきました。



ハイパーラプス

月曜日, 5月 3rd, 2021

最近は、スマートフォンのカメラが進化していて、なかなかデジカメを買ったり使ったりという方向に意欲が向きません。
静止画でいうと、スマホで不足感があるのは、ズーム機能とフラッシュ機能です。特に後者は、たまに欲しくなりますし、たまにデジカメを持って行っていてよかったと思うのは、フラッシュなのですが、せいぜいその程度です。



動画でいうと、アクションカムの類は、思わず買いたくなることが何度かあって、何度か買っています。ただ、私が買った頃までは、画面がついていなくって、撮っていたつもりが、結局取れていなかったりなんてことが、何回か続いて、使わなくなるというパターンが多かったです。動画も結局はスマホで撮ってしまえば、だいたい済みます。子供のスキーを撮影するときなんかも、画面が大きいから確認しやすいですし。



そんな中、先日久々にジンバル一体型の小型カメラとでもいうものを入手しました。
ジンバルというのは、強力な物理的手振れ補正装置のようなものです。上下、左右、前後?方向に振られても、バランスをとる装置です。これが面白いのは、そこまで手振れを補正するとなると、一定の方向を常に向き続けるという機能が生じるということです。見ている方向を決めておかないと、左右に振れた時に、手に合わせて振られてしまいます。
で、さらに見ている方向を決めて、その方向を維持するという機能が進化して、まず顔を認識させたら、その顔をジンバル付きカメラが、勝手に追跡し続けてくれる、ということになっているようです。くるくる回るので、左右方向であれば360度追跡します。ということで、これでバイクの基礎練習をしているところを撮影できるのではないか、と思った次第です。



しかしながら、ヘルメット顔までは、しっかり認識してくれないようで、結局この使用方法はダメでした。もう少し、進化を待つ必要があります。
 スキーで、子供の姿の追跡はある程度やってくれているようなので、手にそれを持っているだけで、勝手に撮影してくれました。しかし、スキーだと離れていくにしたがってズームしたいので、そういったあたりを考慮するとスマホ撮影に軍配が上がります。



というところで、早々にお蔵入りの予感がしたのですが、少し前にタイムラプスがどうのというをやっていました。プラスの間違えだろうと思ったのですが、ラプスのようです。実はスマホにもその機能がついていることが多いです。要は、たとえば10秒分毎に静止画を撮影して、動画のようにつなげるということです。夕暮れ時等に使うとなかなか、きれいなものが撮れます。とはいえ、2時間程度は撮影を続けるし、それが終わったときにバッテリーは相当程度なくなっていそうなので、スマホでするのは億劫です。
で、このジンバルカメラにやらせてみたら、なかなかきれいにとれました。
とはいえ、こんなものは、2,3回やれば飽きます。



ところが、このジンバルカメラには、タイムラプスもどきとして、モーションラプスとハイパーラプスなるものもできるようです。ネットで調べてみると、ハイパーラプスというのは、歩きならタイムラプスをやるということらしいです。



で、試してみます。普通、歩きながら10秒ごとに静止画を撮影すれば、よほどカメラの方向を意識していない限り、あっちゃこっちゃの方向がでたらめに映ってしまいます。ところが、ジンバル付きなので、まったくカメラの方向を意識していなくても、おおかた進行方向を撮影し続けてくれます。ジンバルカメラは棒状なのですが、垂直に持っていることだけ意識していれば、大丈夫なようです。
しかも、動画と違って、音は録音していません。なんとなくの散歩中に動画を撮影してしまうと、会話内容もすべて録音されてしまうので、警戒心と緊張感が生まれてしまいます。でも、ハイパーラプスであれば、大丈夫です。しかも、手に小さなものを腹の前あたりで持っているだけなので、人が多い観光地等でも周りに警戒心を与えずに撮影できます。



そんなわけで撮れたものをみてみると、散歩した道を自転車でスッと走ったかのうような記録が残っています。景色のよい場所をうろうろしたときの記録を残す手段としてナカナカです。ということで、なかなか面白いものが出てきたという印象です。



なお、森の中の道なき道を進んだときは、さすがのジンバルといえども、ある程度の角度のブレが生じたようで、犬の目線のような独特の前後揺れのあるものが出来上がりました。

反省

水曜日, 4月 28th, 2021

最近ここに書いていることが,気難しくなっている気がしてきました。
気難しさをアピールしても何のメリットもないので,そんなんなら書かないほうがましですね。



ここの記載が,仕事上意味があるとしたら,相談者や依頼者が読んで,事務所の姿勢のようなものをつかもうとするか,当事務所で働こうかと思った人が事務所の雰囲気をつかもうかということの一助になればということです。



ただでさえ,敷居が高い等といわれる弁護士事務所ですから,気難しいのでは困ります。でも,安心ください。
私は,法律相談や依頼は受けていませんので,当事務所に相談に来たり依頼をしても,私の気難しさに辟易することはありません。
また,当事務所で働くことになっても,私は存在感が極めて希薄ですので,当事務所で働くことになっても,私から小難しいことを言われて困惑することもありません。



でも,わざわざこんな言い訳をしなければならないのは,変です。



少し前に,何か昔話ばかり書いている気がして反省して,昔話を書くのをやめるよう極力気を付けたのですが,また少しエネルギーを使って修正が必要そうです。



若返作戦を遂行しているのですから,昔話をしたり,気難しいことを言ったりといった老人的振る舞いはしてはならないのです。

屈服

水曜日, 3月 31st, 2021

同調圧力に屈したら同罪になって,自分も圧力をかけることになる。
と思いながら,ささやかな抵抗をしてきましたが,これ以上は危険と思われるのでマスク族の仲間入りです。
辮髪やチョンマゲや鼻輪の類もこのような流れだったのでしょうか?



マスクについていうと,現状の印象としては,期待値プラマイ0。
つまり,マスクが何らかのプラスの作用を及ぼす場合と確率,かえって有害である可能性と確率をかけたり足したりすれば,プラマイ0だろうという印象です。



当初はWHO等は,マスクの有効性を否定していたのに,何ら新たな研究成果がでたわけではなさそうなのに,いつの間にか世界中でマスク推奨です。人間の言う「科学」というのはこのようなことなのでしょう。



ウイルスは飛沫で感染するから,飛沫を防ぐことによってウイルスの感染を防げるのは当たり前ということのようです。医学の歴史を振り返れば,この手の理屈がうまくいった試しはほとんどないことはわかるはずです。
無数の幸運な偶然が重なって,抗生物質を生み出すカビが,治療用の抗菌物質を探していたフレミングの研究室に降り立ち,フレミングが発見する。ところが,フレミングはこれを治療用の抗菌物質として最後まで利用しなかった。
なんていうようなことの連続が医学の歴史です。
人間の「ああなればこうなる」的な思考の枠組みは,医学的発見に適していないのでしょう。ぐちゃぐちゃと無数の偶然と失敗と成功が入り交じる中で,何かをわずかずつ学んでいく。



ともあれ,私自身,マスクが無駄だと確信しているわけでは,もちろんありません。わからん。有害無害五分五分だろうということです。



このような判断を理解するのも人間の思考回路が苦手とするところです。



将来,結果として,マスクの有効性が判明した場合,私は間違っていたことになりますし,マスクの有害性が明らかになったとき,私は正しかったことになります。
そういうことではないのですが,人間である私も,前者の場合は苦痛を感じて,マスクの有効性を否定する材料を必死に探そうとするでしょうし,後者だった場合は「それみたことか」という気がします。



もうなんのことだかわからなくなってきますが,なにはともあれ,敵意を気にせず電車で過ごすようになっています。

無為

日曜日, 2月 28th, 2021

(本当は、3月になってから書きましたが、一応、毎月1回を目標にしているので、2月末ということで)



先日、平日に、とあるスキー場に行きました。
毎年、平日に1日スキー場に行くというのも、かれこれ10年以上、いや15年くらい続いているかもしれません。実は、昨年途切れてしまったのですが、今年復活です。



驚いたのは、
スキーは既にすたれて人気がなくなっている
コロナの中で、外国客も来れなくなっている
平日である
緊急事態宣言中である。
にもかかわらず、ものすごく混んでいたということです。
前夜発で、付近で軽く車中泊して、スキー場に着いたのですが、すでに第1駐車場は満車で第2駐車場に案内。ゴンドラを降りて、一つ目のリフトは並んでから乗るまで20分か30分くらいかかりました。まるで、学生の頃のスキーのようです。



なぜ、こんなに繁盛しているのかというと、そのスキー場は、ゲレンデを圧雪して整地しないのが売りで、新雪や深雪を楽しみたいスキーヤーや、スノーボーダーがたくさんきているようなのです。



わざわざスキー場をきれいに圧雪して整地しているスキー場は閑古鳥で、そういうことをしないスキー場は大繁盛ということです。



面白い現象といえますが、自分の仕事を含めて、そういうことは気が付かないだけで、意外に多いのではないかという気がします。

アンチエイジング

土曜日, 1月 30th, 2021

今年の冬は寒いようです。昨冬が暖冬だったので、特に寒いようです。
少し前までは、「昔(自分が子供のころ)は、横浜でも氷点下になることがあったんだけど」なんて、言ってましたが、今年は平気で氷点下です。
車の霜取りに苦労して、解氷スプレーを買ってしまったほどです。



ところが、私はへっちゃら、です。
昨年終わり頃に読んだ、老化研究の本に刺激され、老化しないようにするということに興味を持ち出しています。そうすると、思いのほか、考え方が変わってきます。
毎年毎年、体の新たな不調症状があらわれていくのが普通でしたが、逆に減らしていけるかもしれない。老眼だって治るかも。
ここ数年、オフロードバイクに凝ってますが、こういうことをできるもあと10年くらいかも、しかもある程度上達を見込めるのはもっと短い期間だから、なんて思ってましたが、まだ30年50年練習できるとすると、トップライダー並みにうまくなるかも。
とか、きりがないくらい、その他仕事のことも含めて、様々な発想の前提が覆って、考え方が変わってきている気がします。



そして、老化をふせぐ諸々の中に、体調を崩さない程度に凍えること、が含まれているのです(まあ、読み返してみると、根拠は薄い気もしますが)。というわけで、凍えた分だけ若返ると信じて、健康運動をしているつもりになっていると、意外に寒さに耐えられます。



でも、これを書いているのは、北関東のとある場所。ここの寒さは、なんだか身に応えます。

今年読んだ本2020

月曜日, 12月 28th, 2020



子育ての大誤解 重要なのは親じゃない〔新版〕 上 
これは,面白かったです。基本的に,親が子にどう接するかは,子の家庭外での性格に影響がないという主旨です。影響があるように見えるのは,遺伝で説明できるレベル(親が粗暴なふるまいをするから,それをまねて子も粗暴になるのではなく,粗暴さが遺伝しているだけということ)である。それを超えて影響があるという研究結果は,親からみた子の性格という調査方法をとっているので,家庭外の性格の説明はできない。
それなりに説得力を感じました。子育て中の人は,読むことをお勧めします,子供のためを思ってやっていることが実は無駄で,単に子供との関係を悪化させているだけかもしれません。
また,家庭裁判所に関係している法曹関係者も読むべきでしょう。家裁の制度の多くが根拠が喪失する可能性があります。
「子供のため」という金科玉条を見直す必要もありあそうです。



事実はなぜ人の意見を変えられないのか
この手の本は好きなので。面白かった記憶です。
でも,1年近く前で,似た本をたくさん読んでいるので,どこかどうだったかというと。おそらく血肉はなっていると思います。



休み時間の免疫学 第3版 (休み時間シリーズ)
2周読みました。医学関係の資格試験用の参考書のようです。免疫関係の本は応用編のようなものは何冊かよんでましたが,基本をしっかり押さえたく読みました。
おおかた免疫学の基本は分かった気がします。ちなみに,私は,司法試験や大学受験を含めて,この手の最低限のことを書いてある参考書で勉強するタイプなので,「こんな本読んで分かった気になるな」というわけでもないんです。
この後,調子に乗って,分子細胞免疫学 という本に挑戦しましたが,1割程度で挫折しました。うすい参考書に限ります。



座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」
何かで貞観政要という言葉を聞いて,聞いたことがなかったので,軽く概要をつかみたくて読みました。まあ,聞いたことないだけのことはあったという感じです。



哲学と宗教全史
貞観政要の本を読んだときに,著者の書いている小ネタが意外に面白かったので,別の本を買ってみました。哲学史は学生の時にある程度わかっていたので,その復習やなつかしさを込めてという感じです。



逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想
小林一三は少し興味があったので。伝記にするか,自著にするか悩んで,後者に。自著だと,文章は読みにくいですが,当時の時代の雰囲気がつかめて,とても面白いです。



反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー
農耕生活は,狩猟よりひどい生活なのに,なぜ広がったのか,という話。
思い付きを書いている感じで,全体に説得力が乏しいです。著者の意見に不賛成なわけではないのですが,もう少し,反対意見を想定し,それに対する反論を書いてくれないと,断片的な情報からの思い付きを,書き連ねているような気がしてしまいます。



ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在
この手の本は何冊も読んでますが,世相柄,また買ってみました。
前半のほうが面白かったです。



一揆の原理
たまには日本史の本も読んでみるかという中で読んでみました。日本の文系学者の書くものは敬遠していたのですが,日本史ばかりはそれしか選択肢がないので。
小ネタレベルでは面白い部分もありました。



UPSTARTS
エアビーアンドビーとウーバーの物語です。いずれも日本では規制に阻まれて,存在感がうすいですが。
この手の本を読むと,ビジネス的なエネルギーが活性化するので,そういうことを期待して読んだのですが,だめでした。
著者は,ジェフベゾスの伝記を書いた人で,これはすごく面白かったので,期待していたのですが。
私の関心等が変化したのかもしれません。



LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界
ちょっと考えの穴でした。
人類は昔から不老長寿に興味があったのですから,これだけバイオテクノロジーが発達すれば,そういう研究も盛んになるということでした。当たり前です。
まだ,劇的に何かが分かったわけではないようですが,だいぶ手掛かりはつかめてきているようです。
自分自身,そろそろカウントダウンモードだったのですが,この本を読んで考えを変えました。とりあえず,可能性が見込まれる化学物質の大量摂取を始めています。
私をみて,若返っているようでしたら,読んでみることをお勧めします。

よいウイルス

土曜日, 11月 28th, 2020

最近は、電車に乗っても、ほぼ全員マスクをしているので驚くばかりです。



先日みた記事だと、65%の人が市販の風邪薬でウイルスを倒して風邪を治せると思い込んでいるようです。きっと、医者にいったり、医者の出す薬を飲めば風邪を治してくれると思い込んでいる人は、もっと多いのでしょう。



マスクをしていない人にガンを飛ばしている方々の大半がこのような状況かと思うと、人間がオカルト的な世界観を抜け出すことは難しいのだろうと思います。



さて、ウイルスといえば、ヘルペスウイルスがうつ病に深く関与しているという研究結果のニュースは、すごく興味深いです。どうやら、皆ヘルペスウイルスには感染しているのだが、疲れすぎると活発化して脳に行く→うつ病に、という機序のようです。
そして、もっと興味深いのは、この研究結果についての別の(日経なので有料)記事で、人間がヘルペスウイルスに感染すると、ストレスに敏感になり心配性になる。人間がいまのような人間になって知能や文化を花開かせたのは、ヘルペスウイルスへの感染が契機かも、なんて話がでていたことです。この可能性は、すごい話だろうと思います。



今年のコロナ騒動の中で、ウイルスに感染していても無症であることは多いということが広く知れ渡りました。病気等の症状を出さないまま、多くのウイルスが人間の細胞内にひそんでいるようです。



遺伝子の解析が進むことによって、細菌の類については、人との幅広い共生関係について、だいぶ、理解が進んできたようです。でも、ウイルスについては、まだまだでした。でも、もし一定のウイルスが、無症とはいいながら、人間の性格に深く関与して根差している可能性があるのです。



仮に、抗生物質のように汎用的に効く、抗ウイルス薬が開発されて、またはうつ病を防ぐためにヘルペスウイルスを駆除できる薬が開発されて、人々がそれを摂取しだしたら、人間は野生動物のような性格になってしまって、一気に文明が崩壊する、なんてことも絵空事ではないということでしょう。



さらに言えば、いわゆる民族性とか、最近流行りののなんとか障害とかについても、いままでは人間の遺伝子レベルでの説明を試みていましたが、ウイルスレベルでの考察も必要なのかもしれません。あの民族は勤勉だとか、感情的だとか、好戦的だとか、そういったあたりは、だいだい受け継がれてきたウイルスのせいかもしれません。社会にうまくなじめないのは、ヘルペスウイルスに感染していないからかも、とか。



人間の認識の枠組みからすると、細菌もよい菌と悪い菌、ふつうの菌とかそういう枠組みでないと理解できないことが多いので、様々なウイルスが複雑に人間にからみあっているということは、うまく理解できない可能性もあります。効かない風邪薬が効くことになったように、複雑に人間性とからみあうウイルスは、存在しないことになりそうな気もしますが、なかなか想像をかきたてられる話ではあります。



におい

水曜日, 10月 28th, 2020

年齢を重ねるにつれ、様々な不愉快な現象が増えてきます。
たまに発生するだけだった肩痛がここのところ慢性化しつつあるし。



そのような諸々のひとつが、においです。
オフロードバイクの練習にはげむと、それなりに汗だくになります。
今年は、冷感インナーなるすぐれものを入手したのですが、練習がおわるとびっしょりです。さらにプロテクター類もそれなりに汗が染みこみます。



以前は、そんなことはなかったのですが、最近はこれが相当程度においます。
なので、家に帰ったら即洗濯機を回すようにしています。



さて、私はにおいについては、人間たちの中ではかなり敏感なほうで、電車の隣の席の香水が嫌で席を立つことも珍しくありません。
でも、生物の中では、人間は、きっとかなりにおいに鈍感なのだろうと思います。



人間は、視覚を中心に世界を把握し、その結果、時間とか空間に基づいた世界像を当然のように感じています。でも、嗅覚がはるかに強い場合、世界像は全く異なったものになるのだろうと思います。



空間についていえば、光ははるか遠くからも届く、しかもすぐ届く。そのため、ある瞬間における、世界の状態とでもいうようなことを想像しやすくなります。でも、嗅覚中心であれば、星の存在どころか、遠くの山も存在しないも同然です。見えている場所に向かっていくのではなく、においの濃度に即して近づく離れれるという行動を生み出す世界像はなかなかイメージしずらいです。



時間についても、過去の出来事の記憶に基づいて、人は行動します。うまい食い物があった場所、危険な場所。
におい中心の世界観では、危険な場所には、相当程度前の犠牲者が残したにおいの残滓を感じ取って、避けるということになるのかなと思います。つまり、記憶は自分の脳にとどめる必要はなく、時間という感覚も必要ないのかもしれません。



まあ、そんなところで、人間は鼻が弱いから、その分、脳を発達させたのではないかとさえ思えてきます。



さて、汗のにおいに軽くショックを受けて、これがいわゆる加齢なんとか、かと思っていました。かるく洗濯機をかけただけで、とりきれなかったときに、より有効な洗濯法をネットでしらべていたら。
どうも、加齢なんとか、ではなく、それなりに若い人がだす類の臭気のようです。まあ、目糞鼻糞の類ではありますが。