蚊と進化論

8月 27th, 2019

趣味の方向性が変わってから初めての夏
 ということで今年は蚊に刺されまくっています。
この10年で刺された分くらいを,今年だけで刺された気がします。



不愉快な思いをすると,頭は色々と理屈をひねり出します。
本を読んでいると,生物の現状を説明するために進化論が持ち出されます。
 例えば,キリンの首が長いのは,生存競争上,首が長いほうが有利な環境にあったから,首の短いキリンモドキが淘汰されて,今のキリンが生き残った云々というあたりです。
いかにも有利なイメージを抱きやすい特徴は,進化論で説明しやすいです。



では,蚊にさされやすいのも,同様でしょうか?
 人間が蚊に刺されるのは,生存競争上,蚊に刺されるほうが有利な環境にあったから,蚊にさされない人間モドキは淘汰されて,今の人間が生き残った
ということになりそうです。



蚊に刺されることが生存競争上,有利になること等ありえないか,というと理屈の上ではメリットをひねり出せます。
 たとえば,蚊が何らかの病原体を適度に媒介してくれるおかげで,蚊にさされる人間には抗体が生まれて,直接感染の場合に病気にならない,または軽度で済む蚊のワクチン効果!なんてものがあるかもしれません。



進化論は科学とはいえない。なぜなら,何でも進化論で説明できてしまうから,という話を聞いたことがありますが,上記の蚊のことを考えると,そういう気もしてきます。



それにしても人間の血を好む蚊は,人間より後に出てきたのでしょうか?それとも,それ以前は人間以外の血を好んで吸っていたのでしょうか?



なにより不思議なのは,蚊がわざわざ音を立てて飛んできたり,吸った後に腫れてかゆくなることです。
蚊の音が人間に聞こえるのは,蚊の音を聞くことができる人間が自然淘汰によって生き残ったのか?それとも,人間に聞こえる音で飛ぶ蚊が,自然淘汰を生き残ったのか?両方なのか?
蚊にさされた後にかゆくなる人間が自然淘汰によって生き残ったのか?それとも,人間をかゆくする蚊が自然淘汰によって生き残ったのか?両方なのか?



人間にとって,蚊の音を聞くことができることや,かゆくなることが,それほど生存競争上有利とは思えません。すくなくとも精神衛生上は不愉快なだけです。
蚊にとっても,ひそかに近づいて,刺したことにも気が付かれないほうが有利な気がします。
人間の皮膚に住み着いていると思われる,目に見えない程小さなダニの類はきっと,ひそかに血をすって関心ももたれずに,生活しているのではないかという気がします。



そのようなわけで,かゆくなるだけでなく,思考に混乱をもたらす蚊との格闘は,まだしばらく続きそうです。

禁煙文化遺産

7月 1st, 2019

健康増進法ということで,学校や病院で禁煙強化というニュースをやっていました。



私が司法修習をしていたころは,喫煙者も多く,喫煙場所にタムロしていれば,修習性同士のちょっとした情報交換だったり,裁判所での修習中ではベテラン書記官からちょっとしたネタを色々教えてもらったりして,それなりに有用だった気もします。



私もタバコをやめてから20年近く経ちます。喫煙が有害だったとしても,20年程度で非喫煙者と同程度になるという話もあるので,法律的に言えば時効といったところです。



さて,国を挙げての猛烈な禁煙運動により,喫煙率は大幅に下がっています。
http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.html



タバコを吸う人が減ったという面では成果が上がってきていると言えます。



でも,なぜ,禁煙運動をするのか?
何と言っても,肺がんをなくすためだろうと思います。



で,
https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/annual.html



少しスクロールしたとこにある,部位別がん年齢調整死亡率の推移です。肺がんは90年代はじめまでどんどん増えていって,そこから,目を凝らすと少し下がっているという感じです。
この「少し下がっている」部分を,「大幅に成果があがっている」と主張されているガン治療の成果と分け合うことになるわけです。
現在のところ,禁煙運動は,肺がん死亡者を減らすという点ではほとんど成果が上がっていないように,私には思えます。



「いやいやこれから下がる」のだということなのだろうと思います。
でも,もう50年近く前から喫煙率は下がり続けています。もうすこし明確な成果が出てもよい気もします。このグラフを見る限りは,そろそろ禁煙運動に対して「本当かな?」という目をもってもよいのかな,と思います。少なくともあと20年経っても,グラフに変化がないのであれば「いい加減,やめたら?」と言ってあげたほうが親切かもしれません。



人類は古来病気と闘ってきました。まじないをしたり,色々なものを食べさせたり,生贄をささげたり,巨大な物を作ったり。
今の我々からみれば,「そんなことで病気を防げるわけがない」ということを大真面目に,必死になってしてきたわけです。
我々も彼らと同じ人間ですから,同じようなことをいくらでもする可能性があるといえます。科学だ医学だと言っても,ほんの100年程度(場合によっては何十年)遡るだけで,今から見るとおかしい治療法が常識だったのです。その時代の人も自分たちは科学的/医学的に病気と向き合っていると思っていたわけです。



もっとも,病気に対して効果がななかったとしても,その中で人類が作り上げた巨大な建造物や,怪しげな踊りは文化的な価値があることもあります。



仮に現代の禁煙運動が未来の人からしたら馬鹿げていたとしても,喫茶店にある檻は文化遺産として人々の知的好奇心をくすぐるかもしれません。



競争心なきレース

6月 17th, 2019
4月のデビューに続いて,先日2度めのレース,オフロードバイクのエンデューロレースというものに参加しました。
基本的には,山の中のコース(登山道のようなところ)を登ったり降りたりするものです。
普通は歩いては登ったり降りたりしないような急坂も多く,恐怖で精神がすり減ります。
私のiphoneの万歩計はオフロードバイクに乗っていると,歩いていると勘違いして歩数を数えてくれるのですが,レースの日は210階分の階段を登ったことになっています(ちなみに歩数は15000歩強)。
さて私は競争嫌いなのですが,なぜレースを楽しめるのかという問題もあります。
レースを勧められたときは,「競争はどうも・・」と拒絶です。
ただ,オフロードバイクを存分に走らせられる環境というのは実際あまりない中で,レースに出るのがもっとも楽しいという話がありました。そこで,ふと所内のマラソン好きの弁護士の「マラソンは普段みれない景色を見れるのが楽しい」という話とつながって,面白いかもという気になったのです。

あくまで競争嫌いですから,レースが始まった途端に戦闘モードに入ったりはしません。
先日のレースは一斉スタートだったのですが,スタート直後の混乱が嫌だったのもあり,全員が行ってしまって,だいぶ離れてしまったからゆっくりとスタートしました。チーム競技であれば「無気力」とか嫌味を言われがちな展開ですが,個人競技なのでその心配はありません。
で,走行中も走っている他のバイクを抜くことは一度もなく(もちろん,抜くだけのスキルがないのです),後方から来る無数のバイクに適宜道を譲りながら(譲ってないのに,うまいこと細い道を使って抜いていく人には「すげー!」と感心しながら),走りきりました。

とはいえ3時間の耐久レースなので,他の人が休んでいる間もちんたら走っていたこともあり,ビリにはならず,順位は上から7,8割ゾーンといったところでした。その日の出場者の中で,おそらく一番あとから初めたけど,この半年はおそらく一番練習しているはず,そして自分の運動神経のなさといったところを勘案すると,まあこんなもんだろうというところでした。

まあ順位も出ると気になってしまって,それはそれで嫌なのですが,こればかりはしょうがないです。

学生の頃は,登山系の趣味の中で,滝や岩を登っていました。普段スキルを磨いておいて,本番は恐怖に耐えながらなんとか登り切る,というような遊びです。レースは,これに近い感覚で楽しんでいます。

裁判のIT化

5月 31st, 2019
裁判所がこれから10年で大きく変わりそうです。

法曹界は,いまだにFAXが主要な連絡手段という状況ですが,大幅に変わりそうです。
とはいえ,弁護士の抵抗によって骨抜きになってしまわないよう裁判所には頑張ってもらいたいと思います。

裁判所も現状は,調停にIPADを持ち込んだら文句を言う調停委員がいたり,少し遠めの裁判所で電話会議を求めると「その距離では来てもらっています」とおっしゃったり,IT化の方向性にそぐわない態度が散見されますが,最高裁の意向があれば概ねスムーズに移行すると思います。

弁護士は逆らうことも仕事のうちです。それはそれでよい方向に行くこともあるのですが,おそらく裁判のIT化では自分の学習意欲のなさや変化嫌いに屁理屈をつけて抵抗することが予測されます。
当事務所では,弁護士の業務内容の分析をしていますが,大きな割合を占めるのは移動時間です。最終的にはこの移動時間相当のコストを依頼者が負担していることになります。人一人を拘束することのコストは大きなものです。タクシーの料金を考えればわかると思います。
裁判のIT化がうまくいって弁護士業務に占める移動時間が大幅に圧縮されることによるメリットは大きいといえます。

いずれはペーパーレスになるようですが,一番気になるのは委任状の扱いです。
訴状は電子的に申請しても,委任状は郵送なんて馬鹿な運用が定着するのも困りものです。
でも,どこかのサイトにアクセスして,そこで特定の弁護士への委任を登録するということの実現には,マイナンバーによる電子申請の普及が必要だろうと思います。現状のマイナンバーの状況からすると,どうなんだろうと思います。

とはいえ,委任について委任状に押印不要という社会的状況になってくれば,諸々の法律上の重要文書に押印ということもなくなってくる気がします。電子的な契約書のサービスの試みもありますが,正直,メールやチャットのやりとりさえ残っていれば,契約の成立の立証に不足はない気がします(例えば「添付ファイルの内容の契約書でよいですか」返信「OKです」というやりとり)。ですから,一定の重要な契約書には電子的な契約書の認証は必要かもしれませんが,基本的には紙の契約書的発想の名残のような気もします。

いずれにしろ今後10年,20年で法律実務は大きく変わりそうな気がしますので楽しみです。

時代の区切り

4月 15th, 2019
新元号が決まりました。
平成になったとき,私は高校2年でした。今,上の子が高校1年ですので,ちょうど一世代を感じます。

平成になったときの2月頃,学校が休みになったので,伊豆に出かけることにしました。
その直前に,スズキの50ccのオフロードバイクを手に入れていましたので,格好の連休でした。
本当は,オンロードバイクがよかったのですが,予算の関係で不人気で安かったモデルを買いました。
伊豆ツーリングは,真鶴駅そばの歩道橋の下,伊豆高原駅の駅舎,下田駅の駅舎といったあたりが宿泊場所で,それはそれで楽しめました。

ここで予想外だったのが,オフロードバイクで林道等を走るのは予想外に面白かったことです。
のちに大学時代,オンロードバイクを買ったときも,すぐに物足りなくなり,すぐにオフロードバイクに買い換えました。

その後バイクには乗らなくなりましたが,ここ2年ほど前から再燃しだし,ここ半年でいっきに盛り上がって,つい先日,エンデューロレースなるものに参加しました。

そんなわけで,いくつかのことの重なりあいを感じながら,改元を迎えそうです。

なんの因果

3月 28th, 2019
昨年の今頃に,瞑想用ヘッドセットなるものを買ってみたところ,
普通だと数分も耐えられない瞑想が,10分20分とやっていられることがわかりました。
そして,気がつくと,1年以上,毎日継続していました。
言ってしまえば,宿泊付きの用事や夜のつきあいがほとんどない生活だから,ともいえます。

これだけ瞑想を続ければ,多少,悟りも開けてきます。
ひとつの悟りは,現代人として叩き込まれてきて,常識化している自我とか,人格とか,自分自身の意思とでもいうものは,およそ実態のないものなのではないかという気がするあたりです。
自分の意識の流れは,たいていのところ考え事のようなものが適当に流れていって,ふとわれにかえる。
そのうち,別の考えが流れてきて,しばらくするとわれにかえる。
気になることがあるときは,そのことを考えないようにしようと思っても,気がつくとその考えにとらわれている。
おそらく1分後,30秒後に自分が何を考えるかということすら制御どころか予測も困難。
何も考えないようにしていても,気がつくと何かの考え事をしている。
人の意識の中身なんていうものは,こういうものに過ぎないとすると,自分の意思だなんだというのに,何らかの価値があるのかと思います。これは自分のみならず,人様についても同じで,このような意識の適当な流れがあるのにすぎないのに,人の考えがどうのなんてことに意味があるのかとも思います。

そして,瞑想中だけでなく,行動中もほとんど何か考え事をしていてわれにかえる。を繰り返していて,
きっとわれにかえらなくても,行動はきっと,つつがなく行われるのではないかと思います。
脳や神経の実験検査をすると,行動しようと思う前に体は動き出しているとのことです。
体が動いている様子をみて,自分が動かしているんだという幻想をみているのが意識ということです。

このあたりで二つ目の思いつきも出てきます。
ものごとの因果関係とか,理由とか原因なんていうのも,人間が作り出した幻想と思われます。
ただ,自分も人間である以上,それが幻想であること,つまり,認識の対象となる世界は因果関係などないことは,イメージがしにくいです。
でも,因果関係の枠組みでは理解できない出来事があれば,そもそも因果関係なんてないのではないか,という考えも強くなります。

さきほどの行動と意識との関係。つまり意識は行動の原因になっていないという状況は,人間には理解し得ないといえます。
どう考えても,自分の意識によって体が動いています。
勝手に行動してくれるから,意識は適当にしてしまえ,とやることはできません。
でも,時間の先後関係,客観的とされる因果関係からすると,意識が行動の原因という考えは間違っている可能性が高い。因果関係という考えが正しければ,意識は行動の原因ではない。
とすれば,そもそも時間の先後を前提にした原因と結果,因果関係という枠組み自体ではとらえきれない,何かなのではないか,という考えもありえます。
ここより先をすすめて考えることが人間にできるのかはよくわかりませんが,因果関係という枠組みに多少の疑念を差し挟む一事象といえるかもしれません。

ノセボ

2月 28th, 2019
本を読むことのメリットのひとつは,今まで自分が持っていなかった言葉が手に入り,思考がより進むことです。

昨年手に入った言葉のひとつは,ノセボです。
ノセボというのはプラセボの逆です。
プラセボは,本来効き目のない薬を効き目があると思って飲むと,本当に効いてしまうというものです。
ノセボは,本来体に悪いわけではないのに,毒かなんかだと思うと,本当に体調が悪くなってしまうというものです。

さっき食べたものが「実は2週間前の残り物だよ」と言われたら急に吐き気がしてきて,本当に吐いてしまうというのがノセボです。

人間の多くの体調不良,心の傷とかそいういったものの多くはノセボなのではないかという気がします。
「また体調が悪くなるのではないか」と心配したり,「体調が悪くなってもおかしくないようなひどいことをされた」と思うと,ノセボによって本当に体調が悪くなってしまう。

人が幸福かどうかのかなりの部分は遺伝によって決まる,つまり,幸福を感じやすい人は過酷な環境でも幸福だし,不幸を感じやすい人は恵まれた環境でも不幸せになるという身も蓋もない調査結果もあります。
おそらくはプラセボやノセボは,素質的な幸福感や不幸感の基礎の一つなのだろうと思います。

現在の司法の運用がそうなっている以上,当事務所もそれに即した仕事をしていますが,個人的には心の傷のような得体の知れないものに国家権力が振り回される,つまり心の傷の程度というものを裁判所が認定してそれに賠償を命じるというのは,極めてオカルト的なので,いかがなものかと思っています。
ノセボの研究が進み,この人が苦しんでいるのは遺伝的なものであって,ノセボ現象によって体調が悪くなっているのですということがわかるようになると,そのあたりが変わってくるかもしれません。

水泳終了

1月 31st, 2019
8年ほど前に,子どもに水泳を教える目的でスポーツクラブに入り,その後も土日のどちらかに30分ほど泳ぐという生活を続けていました。
昨秋あたりから,関心が他のところに移って,泳ぎに行かなくなりましたので,先日,スポーツクラブを退会しました。

水泳は基本的に好きではありません。
スポーツにおける嫌悪要素である苦痛(息が苦しい,足がプラスチックのブイひものようなものにぶつかって痛い)や競争的要素が強いからです。
ただ,走ることに比べれば,工夫や上達の要素が大きそうだったので,そのような関心がありました。

そこでTI法という泳法を独自に理解して,スピードは一切気にせず,歩く様にラクに泳ぐ方向性での研究と練習を重ねることにしました。
水中での抵抗をなくす姿勢をとることの訓練にいそしむことによって,ラクに泳げる様になるという方向性です。
最終的には,ひとかきで2m程(左右で4m程ということ)すすむようになりました。
「かく」といってもこの泳ぎ方の場合は,手で水をかくのは無意味ということらしく,手をつくような動作をしながら,体を回すというイメージです。
うまく回せたときは,足の表面(ももとか足の甲とか)で水をとらえたようか感覚があり,ぐっと進みます。
でも,その感覚を重視しすぎると,気合いの入った泳ぎになり疲れてしまいますので,ほどほどにという感じです。

まあ,そんなところで,何か特殊な技法を少しはマスターした感はありますが,水泳は終了になりました。

この1年で読んだ本

12月 25th, 2018
新しい免疫入門 自然免疫から自然炎症まで
免疫という言葉はよく出てくるけれど,実際の仕組みは何となくのイメージしかありませんでした。そのあたりがだいぶ明確になりました。
完全に理解できたわけではないですが,わかりやすいです。

自然言語処理の基本と技術
流行りのAIですが,昨年,ディープラーニングなるものの基本的なプログラムを写経的に書いてみたりして,なんとなくイメージはつかめました。でも,画像認識はともかく,こんなやり口で言葉を処理なんてできるのか?というあたりの疑問から読んだ本。
おそらくのところ,PCの日本語入力システムがおかしな変換をしていたり,自動翻訳が変だったりする限りは,AIが日常会話に対応できるるまでに遠い道のりがあると考えてよさそうです。

アフリカ 希望の大陸 -11億人のエネルギーと創造性-
本を読む理由の一つは自分の常識感を壊すことにあります。正直,現代アフリカはほとんどイメージがなかったので,そんなことを期待して読んだ本。

残酷すぎる成功法則
タイトルはうさんくさいのですが,とても良い本。
なるほどと思うような,研究成果が多数,紹介されています。

江副浩正
ビジネス書の中でリクルート本(リクルートがいかすごいか,リクルートではどういう仕事の仕方をしているか)というのは一つのジャンルと言えます。
そのリクルートを作った江副氏を比較的に好意的に書いている伝記。
リクルートの株のほとんど手放した後に,リクルート幹部等からの冷ややかな対応をされた件は,身につまされます。

「病は気から」を科学する
面白かったです。
多くの薬の効能はプラセボ効果による。
劇的に聞くと評判の薬がプラセボと同程度の効果しかなかったので,医学的に効能がないということになった。でも,プラセボでもその薬でも,多くの患者が治っていた。
(以下,本の内容でなく私の印象)
医学的に正しいことと,病気を治療したり症状を軽減したりするために大切なことは,矛盾することも多いということでしょう。
抗生物質は医学的には風邪には聞かない。でも抗生物質を欲しがる患者の多くは,それを飲むとプラセボで風邪が治る(少なくとも自覚症状では元気になる)のではないかと思います。
医者の対応として,どちらが正しいとは一概にはいえなかろうと思います。

ティール組織-マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
自主運営組織について,様々な事例を取り上げている本。
当事務所の運営について,企業型運営に疑問を感じている中で,さらに管理をやめてみようと思うきっかけになりました。
もともと当事務所は自主運営的要素が強いとは思いますが(この本に取り上げられる程ではないにしろ),今年はさらに実験的に踏み出しました。

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
実績を上げたら○円上げるというモチベーション管理が機能するのは単純作業だけで,多少でもクリエイティブさが要求される仕事には逆効果
ということのようです。人間が直感的に有効と思って実践している,人間の管理方法(言うことを聞かなければ怒ってみる,お金を目の前にぶら下げれば頑張る)は多くの実験によって有効性が否定されている。が,ビジネスの現場では,未だに旧来の管理法が幅を効かせているということらしい。
事務所運営をしていて納得いく部分も多くあるが,完全にそうとは言い切れないと思う部分も。不動産の営業のような仕事から歩合の要素をなくしてうまくくとも思えない,とか。いずれにしろ,この問題は難しい。

脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方
それなりに面白かったです。
ただ,この手の翻訳書の中では,論証にゆるさを感じました。

マルクス・アウレリウス 自省録
ひとつくらいは古典をということで。
大学の頃に色々哲学書を読んでいた頃は,ローマ時代は軽視していました。でもがっつり読むエネルギーを注げない状況では,ローマ時代の軽さはちょうどよいです。

集合知とは何か ネット時代の「知」のゆくえ
「会議や議論はたいてい意味がない」というのが現時点での私の印象です。でも,アメリカの快進撃企業の本を読んでいると議論の重要性がよく説かれています。いまいち理由がつかめない中で,グーグルの本に書いてあったのが「集合知」という概念。どうも,集団のほうがよい結論を出せるという理論があるらしい。ということで読んでみた本。
でも集合知が機能する場合も,情報源の独立性を保つことが肝要なよう。そうであれば会議や議論するより,個別に意見聴取したほうがよい気がします。そうすると集合知の理論は会議・議論有用説の論拠にはならなそうということで,会議有用論にはなりませんでした。
前記のティール型組織にも取り上げられていますし,当事務所でも行っているように,意見聴取だけして,どんどん進めるほうがよい場合が多い気がします。
本自体は,日本人が書いている本とは思えないくらい,思考の質が高いです。

失われてゆく,我々の内なる細菌
今年は少なめでしたが,細菌系。ピロリ菌除去がトレンドですが,ことはそう単純ではないらしい。

未来型国家エストニアの挑戦 電子政府がひらく世界
日本の司法もこれから5年10年で大幅にIT化をすすめるようです。
電子政府の基本となるのはマイナンバーのようです。
たまに住民票や印鑑証明等をとりに行きますが,大半は,それを別の役所に提出するためです。日本中で,ある役所から書類を取り寄せて,別の役所に提出するということをしていますが,このような無駄がなくなるということなのでしょう。

生物から見た世界
自分の長期的な課題のひとつは,空間や時間が人間の主観的な枠組みにすぎないことを自分なりに納得することです(カントからの宿題と思っています)。
色は,電磁波のうちの一部の波長について,視神経が勝手に色にしているだけなので,人間の主観的な枠組みであることはわかりやすい。
因果関係も,人間が因果関係を見いだすものの多くは,間違っていることが多いこと,無数の出来事の複雑な相互関係について単純な因果関係を見いだすことが無意味なことからも,主観的枠組みに過ぎないことは納得しつつあります。
空間や時間は,なかなか難しいです。感覚器官が全く異なる生物の世界は,この問題を考える上での様々な示唆を与えてくれます。

ファスト&スロー(上)(下)
すごくよい本です。この何年かで読んだ本の中でナンバーワンです。
法律書ではないですが,弁護士を職業にするのであれば,是非読むべき本と言えます。
所内での掲示板に,この本等の行動経済学や心理学が弁護士実務にどのような示唆を与えるかの連載をし,既に1万3000字程の原稿量になっています。
なぜ,負け筋の依頼者は和解で強気になるのか,等。

ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム
こういう話を「理論」と呼ぶのはどうか?という感じ。
個々の消費者ごとの物語を想像してみましょう。そうしたら何か思いつくかも。
という話です。

コンテナ物語
コンテナによって海運が変化していった流れを追った本。
イノベーションというものが,いかに予測不能な形で様々なことを変えていくのかというダイナミズムはとてもおもしろいです。先のことはわからないとしか言いようがない。

偶然の科学
ファスト&スローがとても面白かったので,同系の本を読みたくて購入。
前半は結構面白かったです。

NETFLIXの最強の人事戦略~自由と責任の文化を築く~
社員は仕事をするために。を徹底しています。
仕事に必要な限りで徹底的に高待遇。今後の仕事に必要がなければ,そこで契約終了。
を徹底しています。

誰もが嘘をついている~ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性~
「人間とはこういうもの」ということは,人間は色々な考えを編み出しますが,たいていのところデタラメです。ですから,「こうなんではないか」と思っても,おしゃべりで話すだけならともかく,実際に重要な行動に移すためには,データの裏付けを意識する必要があります。でも,ふつうはそのようなデータがとれることは多くありません。
ただ,誰がどのような言葉を検索しているか,というデータが入手できる様になり,少しだけ,裏付けをとれることがらが増えたといえます。

昨日までの世界(上)(下)~文明の源流と人類の未来
人間の認識構造を理解する上で,脳の構造,生物学の本,人工知能の本,心理学の本といったものは興味深いです。これと並んで,全く異文化,特に原始的な生活を送る人間がどのようにしているのか,ということは示唆が多いといえます。
ただ,銃・病原菌・鉄の方が,切れがあって面白かった気がします。
狩猟採集民のほとんどは,ほとんど塩分をとっていない。精製塩がないから,当たり前で,生の植物や肉に含まれているわずかな塩分のみを摂取しています。
(以下,私の印象)そう考えると,運動したら塩分が必要だなんだという現代的な推奨も,眉唾な気がします。そうしないと熱中症になりやすい体質の人もいる,自分がそういう体質かもしれないから,念の為,摂取しておきましょう。というレベルの理解が正しいものと思われます。

無為の為

12月 6th, 2018
老荘思想に無為の為という言葉があります。
高校の頃に触れて,ただ何もしないのではなくて,なさないことをなすのだと言われても
いまいちピンと来ませんでした。
私は怠け気質なので,そんなこと言われなくても何もしませんよ という気分で,それ以上は屁理屈感を感じていました。

とはいえ,逆説的,天の邪鬼的な言葉は好きなので,常にひっかかっている言葉でもありました。

なんとなく,感覚的に理解できたのは,つぎのような比喩を思いついたときです。
かゆいのを我慢する。
かゆくなれば,思わずかきたくなる。それをしない。これが無為の為なのではないか。
かゆいのにかかないというのは,なかなかエネルギーのいる無為です。
そして,かゆいからといってかきまくっていると,それなりにダメージが出ますので,無為を為すことが大事です。

でも,かゆさの問題以外には,いまいち発展性がありませんでした。

ただ最近のように仕事のメインが組織の運営になってくると,仕事上の「かゆみ」のようなものが色々と出てきます。色々と口を出したくなったり,色々と企画したくなったりします。
そして,30人程度の組織の運営をしていると,たいていは自ら実務に直接携わる機会は減り組織をよりよくするための仕事をしたくなります。
会議をしたり,朝礼をしたり,組織の理念を作り上げて皆に浸透させようとしたり,
頑張っている人に報いるために複雑な評価システムを作り上げたり
業績がいまいちな人に発破をかけたり
経営計画を立てたりと,経営者として殊勝な行いをしたくなります。
これが「かゆみ」なのではないかと思うのです。
もちろん,これらが無駄なのかどうかはわかりません。
でも老荘思想的な発想からすれば,
そういうことはしないほうがうまくいく
ということであり,これが無為の為なのではないかと思います。

老荘的なリーダー論では
一番よいのは,そういう人がいることを知られているだけ
二番目は,親しまれて褒められる
つぎは,恐れられる
一番ダメなのは,あなどられる
というのがあり,これは好きな言葉の一つです。
それを支えるのが,かゆみに耐える,かいた瞬間の快楽の誘惑に耐える
「親しまれたい」「褒められたい」という快楽の誘惑に耐える
ということなのかな,と思います。