Archive for the ‘弁護士勝俣豪の雑感’ Category

フードロスと冗長性

金曜日, 9月 29th, 2023

無駄がないこと
だったり
予想通りぴったり正解すること
というのは気持ちがよいことです。



なので、無駄が出たり、予想からはずれたりすると反省して改善点を考えたり、諸々します。
食事を用意して、食べ残しが出ると、多かったのかと考えたり、「残すな」とアツをかけて完璧を目指したくなります。反面で、あっという間に全部食べてしまうと「足りなかったのではないか」と気になります。



その日、どの程度の食欲があるのかは正確には事前には把握できません。なので、ピッタリ完璧を目指すということ自体、どだい無理な話です。
これは、答えのない問題に対して、答えがある問題に対する方法を適用する誤りの典型と言えます。



その日、どの程度の量を出すのが正解かは事前にはわかり得ない事柄です。ですので、対処法としては、まず「多少余ることがっても、足りないということはないようにする」ことと「残さないようにすること」のどちらかを優先するのかを決めることになります。
前者の場合は、いつも少しだけあまるくらいが正しいありかたです。
後者の場合は、いつも少し足りないけど、残ることはなというのが正しいありかたです。



そういう観点からすると、大量の食料が廃棄されて無駄になっている。このムダをなくせば、食糧不足を解消できるというのは、おかしな考えということになります。



世界の皆さんが飢えないにするためには、大量のフードロス(つまり食べ残し)がでるような体制が必要です。逆にフードロスをなくすという方向は、大量の飢餓を生むことになります。



もちろん、どちらの方向をとるにしろ、極端にふれないことが大切です。どう考えても食べきれないような大量の食事を用意したり、米粒ひとつだけ用意して食べ残しがなくなるということではありません。なので「足りないことはないようにする」という方向と取る場合は、たいていの場合、少しだけ余っている、というのが正解の感触ということになります。そこに「無駄がない」「予想通りぴったり」という快楽はありません。



これは、実は多くのことで、大事な感覚です。
商品の仕入れ量でいれば、いつも完売するのではなく、少しだけ余るのが正解
商品の値決めで言えば、たまに「高いからいらない」と言われる程度が正解
遅刻はしないと決めているのであれば、たまに早く着きすぎるのが正解
人間関係で言えば、たまに自己主張しすぎて気まずくなることもあるのが正解
なんて感じです。



とまあ、理屈ではそうなのですが、この感覚は人間の自然な思考法にからすると、ややきついようで、なかなかそれどおりでないことは多いような気もします。

相鉄が便利になった(はず)

水曜日, 3月 29th, 2023

相鉄と東急がつながりました。
予定より随分とかかりましたが、ようやくです。



さて、人間は得るものよりも失うものについて2倍の感度があるとのことです。
100円もらう快楽より、100円失う苦痛のほうが2倍大きいということです。
なので、仕事なりなんなりで新しいやり方を導入すると、それが合理的なものであっても、相当程度の反対にあい、「前のほうがよかった」と言われます。
2倍以上のメリットがないと、「新しいもののほうがよい」とは思わないのです。なかなか2倍以上のメリットがあることはありません。なので、この類のことで、皆様の意見を聞いても、あまり芳しくはありません。



そんなわけで、新しい相鉄のダイヤで、今までより電車の間隔が長くなっていたり、今まではなかった通過待ちが発生したりで、なかなかストレスです。
それを上回る(きっと2倍どころでない)メリットがあると思うのですが、思わずデメリットの報告を人にしたりしております。

ChatGPTと弁護士業務雑感

月曜日, 2月 27th, 2023

ChatGPTが話題になっています。
プログラムを調べる場合には、従来のWEB検索より大幅に便利な気がします。
では、弁護士業務への影響はどうでしょうか?



法律上の調べ物については、まだ、うまく動いているとはいえないようです。
将来改善していって、正答率が上がったとしても、たいていの場合は「専門家の保証」が必要とされる気がします。そういう点では、一般の人が法律相談をするという使い方の代替は難しいのかなと思います。
弁護士の調べ物では、あれって何条だったけ?とかあの最高裁の日付はなんてときにはWEB検索より便利な気がします(もっとも現状では回答はデタラメなので将来の改善に期待です)。
とはいえ、将来改善していくのかは、怪しいといえます。現状は、たくさんのプログラムなり法律情報があるので、それを学習してより正確な答えをだすことが期待できます。
ただ、そういう情報をWEB上で掲載するのは、名誉心なり親切心なり商売上の理由なり色々でしょうが、ChatGPTの学習材料にしかならないとなると、そういう情報を掲載する人が大幅に減少してしまう気がします。そうなると情報の精度が下がってしまうと思います。



文章作成補助については、うまく使えば役に立ちそうです。弁護士の業務上、裁判提出文書なり依頼者との連絡なりで、(法律家なりに)わかりやすい文章を書くことが要求されることが多いです。その結果、文章を作る作業にエネルギーを消耗することが多いです。ここでChatGPTに適当に書いてもらって、参考にするというのはなかなかよい使い方だと思います。
さらにいえば、打合せ→音声認識による文字起こし→AIによる文章化ということをすれば、かなりの業務が自動化されるかもしれません。



その結果、懸念されるのは、裁判上のやりとりでそういう文章が大量に出てくる事態です。現状でも、まとまりがなく長大な裁判文書を出してくる弁護士が少なからずいて、それを読んで対応するという大方無益な作業に多くの弁護士が消耗しています。となると、それをChatGPTにようやくしてもらうという誘惑は当然出てきます。
そしてこのような誘惑は当然裁判官にもあると思います。将来的には、弁護士は依頼者との打合せ内容を打合せ→音声認識による文字起こし→AIによる文章化して裁判所に提出。裁判所はそれをAIに要約してもらったもののみを読むなんてことになりかねない気もします。



等と色々と考えてしまうレベルでよくできていると思います。

同性婚の問題点

火曜日, 1月 24th, 2023

昨今、同性婚を認めるべき、というような論調が増えています。
まあ、それはそれでよいのですが、本当に良いのかは、よく検討する必要があります。



まず、混同してならないのは、同性愛の相当性と同性婚の問題は全く別ということです。
同性愛の相当性については、聖典の民(ユダヤ、キリスト、イスラム各教)系での禁忌の影響があってガタガタしています。日本や古代ギリシアでは寛容でしたし、動物にも見られるものなので、まあ、それぞれの趣味の問題であって、不自然なものとして嫌悪すべきものではない、ということでよいのでしょう。
別の見方をすれば、社会には性的な嗜好を理由に他人を攻撃する人が一定程度いて、今は小児性愛者をターゲットに攻撃を繰り返している人が、ある時代では同性愛者を攻撃していたということかなと思います。



でも同性間の婚姻を認めるとなると、次のような疑念が発生します。



兄弟間や親子間の同性婚は認めるべきか?



異性婚では、兄弟や親子での結婚は近親婚として遺伝的問題が生じることから禁止されています。しかし、同性婚ではそのような問題はありませんので、立法趣旨的には同性婚については兄弟や親子間でも認めるべきということにすべきと思います。でも、どうなんでしょう。



3人以上の婚姻を認めるべきか



異性婚ではあくまで婚姻は2人間です。それは、その間に子供ができることを前提に、その父親と母親という前提があるからです。しかし、同性婚ではそのような問題はありません。愛し合う3人の同性が「どうしても結婚したい」と言っている場合、それを認めないのは、今同性婚を求める人が「どうしても結婚したい」といっているのと何が違うのかはよくわかりません。



動物との結婚を認めるべきか



何を言っているのかと思うかもしれません。でも、旧約聖書での同性愛禁止の話は同性愛と動物愛を同列に扱って禁止しています(レビ記18の22が同性案禁止、23が動物姦禁止)。日本でも、遠野物語では、馬と結婚した女が出てきます。つまり、同性婚より、より性的少数者とうことになるのかなと思いますが、真剣に動物と愛し合っている人の権利はどうするのでしょうか?同性愛まではまともで、動物愛はキチガイということを言い出すとしたら、性的マイノリティーの保護という発想からは、いかがなものか、ということになるのだろうと思います。



もっといえば、ぬいぐるみやフィギアと結婚したい、とか、アニメキャラと結婚したいという人がいた場合、その切実なる思いは無碍にしても良いのでしょうか?



問題はどこに?



なぜ、こういうことになってしまうのか、というと、結婚を愛情による結びつきを公的に証明する制度と考えることが原因なのだろうと思います。もともとは子供ができることによる法的関係を整理するための制度だったのだろうと思うのですが、社会に意識の変化によって、変わったのでしょう。つまり、愛情による結びつきを公的に証明するのであれば、同性の婚姻を認められるべきということになってくるということです。



また、上記の検討でわかる通り、公的に結婚の対象となる愛情をどこまでにするかは、どこかで線引きせざるを得ないだろうということです。その線引きとして、同性愛についても近親婚を禁止した上で2人の関係にするというあたりが、より合理的な線といえるだけのものがあるのか、というとよくわかりません。



現実に困っていたり不便を感じていたりする人がいて、その救済手段として同性婚を認めるということなのだろうと思います。他の救済手段と比較した場合、結局のところ、上記での線引きで同性婚を認めるのが合理的ということも十分ありうるのかなとも思います。ただ、それで済むのか、それが達成された場合、可愛そうな人を見つけ出して騒ぐことを生きがいにしている人が次の段階として、近親での同性婚等、上記の様々なことを言い出す可能性があるとうことも考えておく必要があるとは思います。



結婚制度というのは、愛情を公的に証明する制度ではなく、男女間で子供が生まれることによる法的関係を整理するための制度であるととらえれば、現状維持のほうが合理的ということになろうかと思います。

さが

金曜日, 7月 31st, 2020

先日、それなりに本格的なエンデューロレースに2度目のチャレンジをしました。
会場はスキー場で,天気がよくても私は1周できるかどうかという状況ですが、大雨のせいで、コースがドロドロになり、すごいことになりました。
午前中に少し緩めのクラスのレースがあり、ドロドロの中を走っているバイクを観戦していました。しばらくすると、applewatchが何か騒いでいます。心臓の鼓動が異常に速い状況が続いているという警告です。恐怖で震えた心を読まれていたようです。



自分の頭の中で,勝手に想像を膨らませておびえあがる,というまさに人間性の表れといえます。
とはいえ,それも全く無駄ではないかもしれません。ある程度の中期的な期間にでは,遺伝的に生まれ持った性格に応じて,結局は同程度の恐怖を感じるようにできているのかもと思います。どんなに安全な環境にあっても,遠い将来において,何らかのことが起こる可能性や,きわめて確率が低いけど全くないとはいえない事象の可能性について想像を膨らませて,おびえあがってしまうのかもしれません。



これは,苦痛とか,不満とかも同様なのかも,と思います。
痛みのない生活を送っていても,何らかの痛みの信号だけが発信されてきて,なんの痛みだがよくわからないので,頭が痛いに違いないと解釈してみたり。
善良な人々に囲まれて生活していても,何らかの不満の感情だけが高まってきて,その原因を適当に作り出して,誰かさんに対して無性に腹が立ってきたり。



もっとも,どこかがいかれてしまったり,あまりに強い出来事があると,また違うことになるのかもしれませんが,大方そんな感じなのかもと思います。



まあ,どうにもならんというだけとも思えますが,適度な怖さや,痛みや,対人ストレスはいたずらに避けようとしても無駄なので,向かっていけ,という教訓ともいえます。



2スト

日曜日, 6月 28th, 2020

内燃機関、つまりエンジンは、このところ、電気モータに押され気味です。
車の加速性能は、時速100kmまで何秒で達するか、という指標でみることが多いですが、電気自動車が優勢です。速い上に環境にもよい、しかも自動運転の制御も容易となると、内燃機関は分が悪いといえます。



先日、オフロードバイクの集まりがあり、川もどきの水たまりを渡ろうとしたところ、1台のバイクが水を吸ってしまい、動かなくなってしまいました。ところが、(その集団がツワモノだったこともありますが)、適当に分解したりネジを外したりして、水を吐き出させて、そのうち何事もなかったように動きだしました。電気モーターで、入るべきでないところに(泥)水が入ったらショートして焼けてしまったりして、なかなかこうはいかないようにも思います。
泥水かぶったりしても、適当に直していけるタフさは、内燃機関の強みといえるのでしょう。



オフロードバイクの世界では、いまだに2ストロークエンジン(2スト)が活躍しています。私が高校生の頃は、原付バイクの大半は2ストでしたし、250㏄くらいまでは2ストと4ストが混在していました。
今は、ほとんどのエンジンが4スト、つまり車にも搭載されている普通のエンジンです。2ストと4スト何が違うのか、というと、2拍子と4拍子、爆発がバンだとすると、エンジンのピストン運動で、
2スト バントン、バントン、バントン、バントン、バントン
4スト バントントントン、バントントントン、バントントントン
という感じです。爆発頻度が高いので、ハイパワーだけど、燃費が悪いということで、環境カルトの餌食になってしまったのです。
とはいえ、最近は2ストも直噴化したり、色々工夫して燃費もだいぶ良くなってきて、F1も将来は2ストになる、なんて噂がでる等、少しだけ復権の動きもあります。
燃費がよくなっても、白煙をモーモーと出すのは、相変わらずのようです。白煙の正体はオイルで、おそらくのところ、大気を汚染することもなく、なんとなく、そこら中にふり注いで、人間社会を潤滑するものと思われます。
もっとも、砂ぼこりにまみれた場所ならいざしらず、子供の立小便すら耐え難く感じる気難しい人々が構成する社会では、潤滑するどころか、火に油を注ぐことになりかねません。



私に近い世代では、2ストはいいね、という話はよくあります。私も、なぜか、オフロードバイクの猛練習をしていますが、2ストのおかげかな、と思うこともあります。何がよいのかというと、色々一家言あるのでしょうが、ひとつには音がよいのだろうと思います。
10代の頃に聞いていた曲の影響力は大きくて、好きな曲なんていうものは、10代の頃に聞いた曲のことが多いと言われています。以前、明治時代の日本を旅した外国人の本を読みましたが、当時の日本人は純邦楽のようなものが大好きで、西洋音楽を聴くと耐え難いという反応を示したというようなことが書いてありました。きっと10代の頃までに、そういった曲に慣れ親しんでいると、そういう風になるのだろうと思います。



高校のとき、バイクが欲しいというので頭がいっぱいで、そのときに輝いていたのが2ストと、4ストの超高回転4気筒エンジンでした。この2つのエンジンの音は、いまでも気が惹かれます。4ストの超回転4気筒エンジンもいつのまにかなくなってしまってます(古いものを、爆音を鳴らしながら走っている人もいて、多くの人は不愉快になるのでしょう)。



気が乗らないながらも、練習に行く。とりあえずエンジンをかけると、それまでの気分を忘れて。そんなことなのかもしれません。

変化

土曜日, 5月 30th, 2020

この2か月間、久しぶりにフル回転で仕事をした気分です(とはいっても、執務時間やバイク練習の頻度が落ちたわけではありません)。あともう少し、こんな感じが続きそうです。



社会の状況が、こんなですので、それに合わせて当事務所も色々しなければ、とうことで、色々と取り組みました。



物事のやり方を変えるというのは、大変です。人の習慣等の惰性は強力です。5年、10年、20年前にした判断を大事に抱え込んで、それを続ける理由を心の中、組織の中、社会の中に積み重ねていきます。



人間は、何事にもたいてい理由がつくということがうまく理解できず、理由がついたことは正しいことと思ってしまうのです。



この惰性が、このたび強く中断されました。色々なことをじっくり検討する機会となります。とはいえ、状況が戻れば、ほぼすべてのことを、粛々と今までどおり、とり行おうとしたくなります。



そうはならないよう、様々に積み重ねられてきた従来のやり方を正当化する理屈に騙されないよう気を付けながら、より合理的な運営を目指していきたいと思っています。

不可解

木曜日, 4月 30th, 2020

ウイルスは見えないし,臭いわけでもない。つまり,人間の認識構造は,ウイルスを認識できるようにはなっていません。



それ以外にも,人間には,わかっても良さそうだけど,認識できないことがたくさんあります。
10%と1%と0.01%の確率の違いも,うまく認識できません。
現状,日本のウイルス感染者は,1万人に1人程度(つまり0.01%)。で,発見された人は既に適度に隔離されていると思いますので,町中に未発見の感染者が同程度いるとして,感染者は1万人に1人。その1人から感染する人数は数人。つまり,今感染するためには,1万人に1人に出会って,その人が感染期間中に接触した人の中で,濃厚接触度上位3人以内に入る必要がある。という状況です。



1万分の1の可能性でいうと,40代の人が,何らかの理由で1ヶ月以内に死んでしまう可能性という確率です。つまるところ,可能性はゼロではないが,そのような可能性まで考えて行動はしないという確率です。



ところが,10人乗ったエレベーターで咳でもされようものなら,恐怖に身が震えてしまいます。仮に,10人に一人の割合で感染しているのであれば,もう日本中で1千万の人が感染していることになります。その上で,現在の死亡者数,重傷者数ということであれば,危険性はとても小さく,ただの風邪とほとんど変わらないということになります。うつったって大したことないはずです。



現実の感染者数は,1万人に1人か,5,6人に1人かの中間的なところにあるのでしょうが,いずれにしろ,その中間点で危険が急に高まるということはないと思われます。



つまるところ,10%であれ,0.01%であれ,「可能性はゼロではない」という定性的表現でまとめあげられて,頭の中で同じものと扱われてしまう。その結果,0.01%を前提にした危険性と,10%を前提とした感染の蔓延がつながってしまうものと思われます。



そうは言っても,「知り合いの知り合いで感染者が出ている」んだから,身近なところに迫っていることは確かだ,と思うかもしれません。
今度は,人間は指数関数的な状況が理解できないという話になります。指数関数というのは,○乗というところがxになるやつで,2の1乗=2,2の2乗=4,2の3乗=8というやつです。このあと急激に上がっていきますが,それが予想以上に上がっていってわからなくなります。また,これが2より数字が大きくてもわからなくなります。
仮に知り合いが100人+αいるとします。そうすると知り合いの知り合いは1万人いることになります(αを共通の知人とします)。そうすると,知り合いの知り合いというだけで,人口1億の社会では,1万人に1人に到達してしまいます。
大抵の人は,知り合いの知り合いの知り合いには,超有名人がいるものですが, 知り合いの知り合いの知り合いであれば100万人いることになり,日本に100人しかいない超有名人に辿り着いてもおかしくないわけです。



これは「馬鹿なヤツはこういうことが分からない」という話ではなく,人間の認識とはこういうものだということです。目が悪いからウイルスが見えないのではなく,どんなに目が良くてもウイルスは見えません。



ただ,ここで災害が起こって避難すべきとき,なにかの事情で医者に行ったほうが良いとき,いったん自分の怯えた理性に蓋をして,こういう視点で考えてみるのも良いかもしれません。

apple mask

月曜日, 3月 30th, 2020

コロナウイルスにまつわる諸々は,分からないことだらけです。
自粛関係も一体何を目的としているのか,いまいちよくわかりません。



わからないことの一つは,咳エチケットです。
無症状の人が,どんどん感染を広げているのであれば,咳と人に感染させることとはあまり関係ないのでは?という気がします。
となると,嫌な予感がするのは,「無症状でも,ウイルスに感染している可能性がある。それを防ぐためには,みんなマスクをすべし」というルールが生まれそうなことです。マスクは自らの予防ではなく,あくまで他人への感染防止なのですが,症状の自覚の有無に関わらずマスクをしろ,ということですね。それが本当に感染予防になるのかなんてどうでもよく,勢いで何かそういうことになってしまいかねません。



ここのところの人類の大半は,頭部(顔面を含む)・首,手の先端(社会と性別によっては足の一部)以外は布等で覆うという社会的風俗を有しています。コロナ後の社会においては,これに加えて,口周りも覆うべしという風俗になるかもしれません。



そうなるとアップルは黙っていないでしょう。実を言うと,最近は臭気センサーの高性能化,小型化,低額化が一気に進んでいます。少し前に,kunkunbodyという口臭測定器を買ってみました。電源を入れてから使用までに時間がかかる等,もう一歩の感じがありますが,なかなかの性能です。
仮に,センサー付きのマスクが口元で待ち構えていて,呼吸数だけでなく,口から排出される様々な化学物質を測定できるとしたら,applewatchが測定しているどころではない健康上重要な情報が得られます。
おそらくは,今までのマスクとは違った,見せびらかしたくなるようなオーラをまとったapple maskが登場するのでしょう。
しかも,マスクですので,一部パーツは毎日取り替えが必要で,これをアップル価格で買ってもらうとなると,かなり魅力的な計画になりそうです。



そうなると,どうしても,次に健康情報把握のための化学物質把握センサーを付けて提供したくなるのは,やはりappleWCでしょう。が,そこまで踏み込むかは,なかなか難しい判断になりそうです。





ウイルス

金曜日, 2月 28th, 2020

世の中,コロナウイルス一色です。



私は,ウイルス関係のそれなりにかたい本を3,4冊,免疫関係の本も2冊くらいは読んでいるので,だいぶ,そういったことについては分かっているはずです。



もちろん,もっと詳しい人は,腐るほどはいないとしても,かなりいます。でも諸々の研究の結果,詳しすぎる人は物事を適切に予測したり判断できず,むしろ軽く知っているくらいが一番よいようです(ファーストアンドスローより)。まあ,なかなかの具合なんだろうと思います。



で,結局,ほとんどわかりません。人々が,色々なことを述べ奉っていて,それがおかしいことは分かったりもするのですが,では,どうなのかというと,わかりません。



ということで,あとは無事を祈るしかありません。このあたりは,古来,人間が行ってきたことです。



東アジアの一部の国々では,人体の一部に魔除けを張ることによって,邪悪な病から体を守ることができると信じられているようですが,そういったことも効果があるのかもしれません。



1年を振り返る頃には,「コロナウイルスって今年のことだったけか」と言えるようになっていたいものです。