同性婚の問題点


昨今、同性婚を認めるべき、というような論調が増えています。
まあ、それはそれでよいのですが、本当に良いのかは、よく検討する必要があります。



まず、混同してならないのは、同性愛の相当性と同性婚の問題は全く別ということです。
同性愛の相当性については、聖典の民(ユダヤ、キリスト、イスラム各教)系での禁忌の影響があってガタガタしています。日本や古代ギリシアでは寛容でしたし、動物にも見られるものなので、まあ、それぞれの趣味の問題であって、不自然なものとして嫌悪すべきものではない、ということでよいのでしょう。
別の見方をすれば、社会には性的な嗜好を理由に他人を攻撃する人が一定程度いて、今は小児性愛者をターゲットに攻撃を繰り返している人が、ある時代では同性愛者を攻撃していたということかなと思います。



でも同性間の婚姻を認めるとなると、次のような疑念が発生します。



兄弟間や親子間の同性婚は認めるべきか?



異性婚では、兄弟や親子での結婚は近親婚として遺伝的問題が生じることから禁止されています。しかし、同性婚ではそのような問題はありませんので、立法趣旨的には同性婚については兄弟や親子間でも認めるべきということにすべきと思います。でも、どうなんでしょう。



3人以上の婚姻を認めるべきか



異性婚ではあくまで婚姻は2人間です。それは、その間に子供ができることを前提に、その父親と母親という前提があるからです。しかし、同性婚ではそのような問題はありません。愛し合う3人の同性が「どうしても結婚したい」と言っている場合、それを認めないのは、今同性婚を求める人が「どうしても結婚したい」といっているのと何が違うのかはよくわかりません。



動物との結婚を認めるべきか



何を言っているのかと思うかもしれません。でも、旧約聖書での同性愛禁止の話は同性愛と動物愛を同列に扱って禁止しています(レビ記18の22が同性案禁止、23が動物姦禁止)。日本でも、遠野物語では、馬と結婚した女が出てきます。つまり、同性婚より、より性的少数者とうことになるのかなと思いますが、真剣に動物と愛し合っている人の権利はどうするのでしょうか?同性愛まではまともで、動物愛はキチガイということを言い出すとしたら、性的マイノリティーの保護という発想からは、いかがなものか、ということになるのだろうと思います。



もっといえば、ぬいぐるみやフィギアと結婚したい、とか、アニメキャラと結婚したいという人がいた場合、その切実なる思いは無碍にしても良いのでしょうか?



問題はどこに?



なぜ、こういうことになってしまうのか、というと、結婚を愛情による結びつきを公的に証明する制度と考えることが原因なのだろうと思います。もともとは子供ができることによる法的関係を整理するための制度だったのだろうと思うのですが、社会に意識の変化によって、変わったのでしょう。つまり、愛情による結びつきを公的に証明するのであれば、同性の婚姻を認められるべきということになってくるということです。



また、上記の検討でわかる通り、公的に結婚の対象となる愛情をどこまでにするかは、どこかで線引きせざるを得ないだろうということです。その線引きとして、同性愛についても近親婚を禁止した上で2人の関係にするというあたりが、より合理的な線といえるだけのものがあるのか、というとよくわかりません。



現実に困っていたり不便を感じていたりする人がいて、その救済手段として同性婚を認めるということなのだろうと思います。他の救済手段と比較した場合、結局のところ、上記での線引きで同性婚を認めるのが合理的ということも十分ありうるのかなとも思います。ただ、それで済むのか、それが達成された場合、可愛そうな人を見つけ出して騒ぐことを生きがいにしている人が次の段階として、近親での同性婚等、上記の様々なことを言い出す可能性があるとうことも考えておく必要があるとは思います。



結婚制度というのは、愛情を公的に証明する制度ではなく、男女間で子供が生まれることによる法的関係を整理するための制度であるととらえれば、現状維持のほうが合理的ということになろうかと思います。

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