飛び級

法科大学院の人気がなくなって、
予備試験の人気があるということで、色々と意見が出ています。

でも、大事なのは、弱い人のために
強い人を犠牲にしてよいのか、ということです。

公教育であれば、物分かりの悪い子にも
しっかりわかるように教育するというのは大事なことです。
また、一部の子をエリート扱いしないことも大事かもしれません。
でも、弁護士のような人の教育機関がそれでよいのか
ということです。

私自身、法学部以外を卒業して、平成8年10月から司法試験の勉強をはじめ
翌年の夏の論文試験では、落ちましたが2000番以内に入りました。
今の試験であれば2000番以内であれば合格です。
当時は、まだ長期受験者の滞留だ、いわれていた時期ですから
今の受験者よりレベルが低かったということはなかったはずです。

ということは、現行の試験で合格に必要な水準の知識を身につけるのに
1年も必要がなかったということです。
でも、法科大学院が必須であれば、法学部以外の出身であれば
3年の法科大学院の授業があったりして、法科大学院の入学までの
期間や卒業後、司法試験までの期間をいれたら、4年ほど費やすことになります。
制度上、無駄な3年間が発生するということです。

私だけでなく、私以外にも同水準で仕上げられる人は、そこそこいるでしょうから、
そういう人にとっては、ひたすら法科大学院は無駄な時間です。
つまり、2年なり3年なりの授業を受けなければ理解できない方々が多数派であることは
否定できませんが、そういう人のために、理解が早い人を巻き添えにするのは
社会的に無駄です。

そういう巻き添えの犠牲者をなくすということを制度趣旨とすれば
予備試験は合理的ということになります。

ちなみに、旧試験時代に私のように仕上げた人について
予備校の受験テクニックだ、意識が低いだという考えもあるようですが、
私はわずかしか予備校は利用してませんし、
合格後も、研修所入学までは、試験で選択しなかった
民事訴訟法や破産法の勉強に取り組んでいましたので、
まあ、その余の方々より、意識が低かったということはないでしょう。

そんなわけで、公教育でも、飛び級だなんだの話がでることもありますが、
予備試験の制度趣旨は、理解が早い人のための飛び級であると
正面切って認めればよいのだと思います。

 
 

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