Archive for the ‘弁護士勝俣豪の雑感’ Category
金曜日, 5月 13th, 2011
今年は,震災の影響もあって,クールビズが大いに進みそうです。
でも,そもそもネクタイのように,何の役にも立たないものを
何故付けるのでしょうか?
合理的に考えれば,夏の節電以外にも,朝,余分な時間がかかるし,購入にも余分なコストがかかるし,
ネクタイをつけるという行動に合理性はないように思えます。
でも,多分,この不合理な行動を守らせるということに合理性があるのだと思います。
世の中の常識やルールには不合理なものが沢山あります。
でも,人はそれを暗黙のうちに,守っています。
それを不合理だとかいって破ったり,ケチをつけたりしない人を常識人と言ったりします。
つまり,ネクタイを付けることは,奇抜な行動をしない常識人であるという記号として意味を持ちます。
これは,仮に奇抜な形のネクタイをしていたり,ネクタイが裏返しになっていたりする人がいたら,
「この人は変な人なのではないか?近づかないでおこう」と考えることができるとうことです。
奇抜なネクタイや裏返しのネクタイが趣味にしろ,身だしなみを整える能力がないことによるにしろ,
あまりかかわらない方がよい人物をあぶり出すことができるわけです。
これは,ネクタイに限らず,スーツやワイシャツと一体になった身だしなみ一般がこのような機能を果たします。
激しい寝癖がそのままだったり,やたら汚いスーツだったり,または,ちょっとガラが悪そうだったり,そういう人に目印が付くわけです。
そして,そのためには,守ることに合理性がなく,かつ,普通の人であれば大した手間ではないが,
普通でない人にとっては,逆らってみたくなったり,守るのが困難だったりする,社会的なルールを決めるのが合理的です。
そんなわけで,一見,不合理なネクタイ着用の習慣は,社会的に合理性があるものと思われます。
ですから,クールビズが普及するためには,単に,簡単な格好を普及させるだけでは駄目で,
ネクタイに代わる,ちょっと不合理でちょっと面倒な身だしなみのルールを別に用意する必要があるのではないかと思います。
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木曜日, 5月 12th, 2011
パソコンのキーボードの上にはアルファベット以外にひらがなも書いてありますが,
アルファベットを利用したローマ字入力をしている方が大半かと思います。
私も,弁護士登録以前からローマ字入力をしています。
ただ,弁護士登録1,2年目くらいのころ,
「ひとつのひらがなを,ひとおしで入力できる,かな入力の方が合理的なのではないか」
と考え,1年ほど,かな入力をしていました。
というのは,弁護士仕事は文書を書く仕事が多いので,1割でも入力スピードが速くなれば,
今後の弁護士人生において節約できる時間は,かなりの量になるかも,と考えたからです。
初めは,慣れませんでしたが,だんだん慣れてきて,それが普通になりました。
でも,結局,ローマ字入力に戻しました。
あまり入力速度が変わらないことが分かってきたからです。
意外に濁点が多いため,キーを打つ数が変わらないこともありますが,
それでも多少は,キーを打つ数は少ない気がします。
ただ,やはりキーボードを打つのにはリズムがあります。
その結果,
ローマ字入力だと,カタカタカーカタカーカタカタというリズムですが
(あいうえおだと1回なので,カー,それ以外は子音+母音なのでカタ)
かな入力だと,カーカーカタカーカタカーカーカタというリズムになるだけで
(濁音だと二回押さないとならないのでカタ,それ以外はカー)
打つ回数は変われど,ひと文字あたり,カーでもカタでも同じ時間を使うので
多少,カーが多くても,結局スピードは変わらないようなのです。
さらに,ポジションが不合理で,打ち間違う可能性が高いことが判明しました。
不器用なはずの小指の守備範囲がひろいのです。
人差し指のように器用な指の守備範囲が広い分には何とかなりますが,
ピアノやギターの訓練を受けていて小指も器用な人ならともかく,
そうでない私にとっては,小指は適度にミスをしてくれます。
また,諸々の道具を利用する上で,ローマ字入力のみ対応のものがチラホラありましたので,
汎用性の点でも,かな入力を続けることに合理性がないように思えました。
そんなことで,ローマ字入力に戻していますが,より合理的な入力が開発されたら,また挑戦してみようと思います。
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水曜日, 5月 11th, 2011
震災後の非被災者の,色々な行動の報道をみていて,大学の頃に考えていた,美学と道徳の問題を思い出しました。
自分はこうすべき(例えば「旅行は自粛すべき」)という,考えについて,個人の生き方美学の問題と,道徳(モラル)の問題とは分けて考えることができます。
美学の場合,他人がどうするかは問題となりません。
道徳として語られる場合は,「他人も同じようにすべき」という含意があります。
宗教的な背景がなければ道徳であっても何ら強制力はない
つまり,非道徳的であっても,何ら罰はない。
ので,美学と道徳の問題は区別がつきにくいのです。
ただ,道徳の場合は「他人も同じようにすべき」とする以上,
皆がそのような行動をとった場合にどうなるか
ということは,考えざるを得ません。
そうすると,例えば皆が自粛→経済が縮む→被災者支援もままならない
ということが本当だとすると,自粛という行動は,道徳的にはいかがなものか?という可能性が出てきます。
もちろん,酷い目にあっている人がいるのに,誰も自粛的行動をしないような非人間的な社会は耐えられないという価値判断をすると
やはり自粛は道徳的に正しいということになります。
寄付についても同様です。
サラリーマンは別ですが,事業家は寄付などせずに,その額を事業に投資すれば,
よりおおきな経済活動を生み,寄付金額よりはるかに大きい納税額を生み出す可能性があります。
つまり,「事業家は寄付をすべき」というルールが一般化するより,「事業家は事業に投資すべき」というルールが一般化したほうが
被災者支援に役立つのであれば,後者のルールが道徳的に正しいかもしれない,ということになります。
なんて,まさに書生っぽいことを学生時代は,考えていましたが,
最近は『これから「正義」の話をしよう』なんて本が話題になっていますので,世の中この手の話題に興味がないわけではないようですね。
現実の紛争を扱っている今の仕事に役に立っているのかどうか?は依頼者の方に判断してもらうしかないかも知れません。
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火曜日, 4月 26th, 2011
今回の地震をきっかけに、
日本製の部品が手に入らなくて世界的に影響が出たり
放射能の恐怖で、日本からの輸出物の禁輸や検査があったり
ロボット技術が優れているはずなのに、原発事故であまり活躍していないようだったり
と色々、国産ということを意識する機会がありました。
さて、日本人は舶来モノ好きなんて言われてもいたようですが、いつしか世の中には国産品信仰が蔓延していたようです。
車であれ、家電製品であれ、日本のものは世界的にもっとも優れているような、そんな気分があったような気がします。
でも、それこそが宣伝の効果?
日本のメーカー各社は、直接的なCMや、大手スポンサーに逆らえないマスコミによる間接的な報道によって、
消費者に「日本製品は舶来品より安くて品質もよい」という常識を植えつけてきたのではないか?という気もします。
私自身は、珍しい物好きなので、家電や車、家具、子供用品を含め、海外のものを色々試して使ってみていますが、
なかなかよい物も多く(もちろん、駄目なものもある)、「さすが!」という思いもしています。
他方で、テレビで大々的に宣伝している某国産家電メーカーの某電化製品で、相当程度の不具合を感じています。
すくなくとも、国産品が図抜けてすぐれているということはないという気がします。
いずれにしろ、日本では、商品についての、真っ当な批判・評価をする媒体が『通販生活』くらいしか思い当たりません。
そして、そのような真っ当な批評が育たない大きな理由は、民法刑法の名誉毀損等の解釈にあるような気がします。
軽い気持ちで、製品の悪い点を指摘すると、下手すると法的な問題が生じかねないからです。
そういう意味では法律家の責任も大きいのでしょう。
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月曜日, 4月 18th, 2011
昨年に、仕事用のPDF閲覧端末としての利用可能性を求めて、ソニーの電子ブック閲読用端末、リーダーを購入しました。
PDF閲覧端末としては、動作、特に拡大縮小が遅すぎて使い物になりませんでした。
でも、本来の使い道である読書用端末としては、なかなか優れものであることが分かってきました。
まず、なんと言っても、電子ペーパーを利用しているので、パソコンやスマートフォンの類と比べて、
目が疲れません。
紙の本と同じくらい、読んでいられます。
また、山小屋にいたり、自宅にいたりして、ふと本を買いたくなったときに、
パソコンとインターネット環境さえあれば、本を購入できます。
手持ちの本の中に、そのときの気分にあった本がないときに、とても便利です。
また、軽く読んでみたいと思い購入した本が、最近、我が家の狭いスペースを大分占拠していて
このことが、本を買うことを抑制する力になっていました。
でも、電子書籍は、場所をとらないので、気軽に興味がある本を買うことができます。
ただ、購入できる本が、わずかしかないので、
今後、もっと増えていってほしいと思います。
ところで、ソニーには以前PDAで裏切られています。
PalmというOSでソニーはCLIEというとても優れた機種を販売し、
他社のPalm端末を市場から駆逐したとたんに、思うように売れないからと、CLIEも販売中止。
仕事の道具として長く使うことを期待していたのに、ハシゴをはずされた気分になったことがありました。
Readerは、多少、思うようにうれなくても、すぐに撤退せずに、
10年単位くらいの長期的視点で、地道に販売していってほしいと思います。
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火曜日, 4月 12th, 2011
環境云々の流れの中で,白熱電球がなくなってしまうそうです。
燃費が悪いし,寿命も短いしということのようです。
でも,本当にそうでしょうか?
自宅のリビングは,調光器のついたスイッチにクリアの白熱電球を付けています。
まず,燃費ですが,白熱電球は調光器を使って暗くできます。
蛍光灯で薄暗いと,なんともひもじい雰囲気ですが,白熱電球で暗めにすると雰囲気がよくなります。
特にクリア球を使うと,ロウソク調,ランプ調,現代調と雰囲気を変えてくれます。
で,本や新聞を読むとき以外は,それなりに暗めにしていますので,コウコウと蛍光灯を付けるのに比べて,本当に電気を食ってるのかな?
と思います。
また,寿命ですが,確かに,クリア(透明)でない白い普通の白熱電球の時は,しょっちゅう,球が切れて,代えていました。
ところが,クリア球に代えたら,よく持ちます。少なくとも白いのに比べて数倍は持っている気がします。
クリアだと,中が見えるのできっちり作り,白いのは中が見えないから耐久性が低いのか,それとも別の理由があるのか分かりませんが,
クリアの白熱電球はよく持ちます。
ですので,同じ明るさで付けた場合で蛍光灯と比べたら燃費で負けるでしょうし,
白い白熱電球の寿命は確かに短いのですが,
調光器を付けて暗めで,クリア白熱電球を使えば,問題ないのでは?と言う気がします。
もちろん,LEDにはかなわないと思いますが。
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日曜日, 4月 3rd, 2011
私は、大学時代に文献学の訓練を受けました。
文献学は、昔の文献から色々なことを読み取る学問ですが(歴史だったり、文学だったり)、
私が、訓練を受けた文献学は哲学の文献研究です。
哲学者が残した文書から、行間を読むのは当たり前で、1つの表現から百のことを読みこむような発想をします。
なぜ、あえて、このような単語を用いたのか?
この二つの似た言葉の意味は同じか、別か?
あえて、ここであることに触れないのは、何故か?
とか、ありとあらゆる観点から分析していって、哲学者の真意を読み取ろうとします。
哲学者になりたくって大学に進んだ私としては、
自分の哲学を作るのではなく、誰かさんの哲学の研究者の道へ続く
文献研究は反発を感じました。
でも、作業としてはパズル的に面白い部分もあり、何らかのものは吸収したようです。
その後、めぐりめぐって、弁護士になりましたが、実は、この文献学的な訓練が役立っています。
文献学の発想では、文献実証主義なんて言ったりして、文献に根拠がないことは、何を言っても相手にされないような傾向があり、
そのために、上記のような深い、深ーい読み込みが行われます。
翻って、今の民事裁判。裁判所は書類に残った証拠が中心で、それ以外で何を言ってもなかなか通じにくい現状があります。
そこで、文献学です。書類を徹底的に分析します。
なぜ、あえてこのような文言を用いたのか?
この二つの似た言葉の意味は、同じか、別か?
通常あるはずの文言が、なぜ省かれているのか?
等等、契約書、通帳、決算書等の定型的な文書をはじめ、ありとあらゆる文書を徹底的に分析する習慣がついているようです。
弁護士仕事自体は、色々なことが要求される仕事ではありますが、
もっとも社会から隔絶された営みともいえる、文献研究の訓練が役に立つとは、面白いものです。
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土曜日, 3月 26th, 2011
原発事故がなかなか、おさまりません。
水道水の買占めがあったり、タクシーの乗車拒否があったり、目に見えないものに対する恐怖で、軽くパニックになっているようです。
でも、今言われている危険性なんていうのは、将来において、ほんのわずかだけ、癌になる可能性が高まるかも、というレベルの話です。
しかも、とりあえずは、その産地のほうれん草を食べなかったり、乳幼児でなければ、その危険さえないはずです。
政府も専門家も口をそろえて、そんなに騒ぐほどのことでないと言っていますが、なかなか納得しない人もたくさんいるようです。
確かに、専門家が安全だと繰り返した原発があのザマでは、専門家の言うことはアテにならんというのもわかりますが。
それにしても、ここまで大騒ぎになってしまうのでは、政府は国民の全体的な安全のためには情報統制をしたほうがよいのではないかと思いかねません。
でも、もとをただせば、過度な健康志向、清潔志向、安全志向が、今回のパニックの遠因のような気がします。
タバコの副流煙が危険だとか(真っ黒な肺の写真をみせて・・でも、囲炉裏端で生活していた人の肺も同様だったのではないだろうか?古民家の梁も真っ黒だし)
紫外線が健康を害するとか(モグラではあるまいし。太陽光が有害光線だなんて。美白の敵にはなるかもしれませんが)
ばい菌は危険だ除菌・除菌(成人の体表には1兆程の微生物(ウィルスも含む)がいるのが通常だそうです。でも普通は病気になりません。抵抗力が弱っている病人は別でしょうが)
なんて言い出せばきりがないほど、ほとんど目に見えないものを怖がってきました。
そんな神経過敏にさせられた人にとって、放射能だ被曝(被爆ではない)なんていうのは、耐えられない恐怖になってしまうのもやむをえないのかもしれません。
必死になって守ってきた、健康の確率がわずかでも低下することになるのですから。
でも、古来、人間は目に見えないものを不合理におそれて、騒いできました。
そうすると、この種の科学オカルトも、人間の文化の一部なのかもしれません。
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火曜日, 3月 22nd, 2011
今回の震災による原子力発電所の事故により,今後の原子力利用について,大きな議論が起こるものと思います。
かといって,化石燃料を燃やし続けると,CO2だ地球温暖化だという問題もあるようです。
では,薪なんてどうでしょうか?
ところが,これがなかなか大変で,化石燃料や原子力の偉大さがわかります。
寒冷地の山小屋を薪ストーブであたためると,一日中(起きている間の16時間)で,5~6束薪を使う感じです。
買うと1束400円から600円で,1日2000円から3000円。
自分で丸太を手鋸で切って,斧で割る作業だと,5~6束作るとかなりへとへとです。
少し化石燃料の力を借りて,チェーンソー使うともう少し楽ですが,やはりそれなりに大変です。
1日5,6束の薪を数ヶ月分おくだけで,500束くらいの量になるので,置く場所だって困ります。
次に化石燃料。薪一束程度の容量の灯油があれば,ストーブだってかなり持ちます。
正直,薪を作るのに必要な化石燃料(運搬用のトラックの軽油,チェーンソーのガソリン等)で,薪による暖房がまかなえてしまうのでは,と思うほどです。
で,原子力,1cm程度のペレットで一般家庭の8か月分もの電力をまかなえるそうです。
危険があっても,原子力を推進したくなるのも分かる気がします。
そんなわけで,原子力の代替というのはなかなか難しそうですので
省エネ方向にするしかなさそうです。
実は、薪ストーブも家全体を暖めようと思うとたくさん薪を使うのですが、
薪ストーブの戸を空けて、ストーブの周りだけ暖めようと思うと、かなり薪が持ちます。
そんなわけで、コタツのような暖房が見直されるのかも知れません。
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金曜日, 2月 25th, 2011
中東での民主化運動が続いています.。
日本でも、総理大臣はまた変わりかねないという状況です。
「マニフェスト違反だ!」などと言って
総理大臣を糾弾する人がいます。
国のリーダーを民主的手続きのよって選んだ以上は、
そのリーダーが仕事をやりやすくするよう支えるのが
選んだ側の基本的な責務だと思うのですが、
なかなか、そうはいかないようです。
日本の総理大臣は
就任早々、些細なことを問題にして騒ぎ立てられ
支持率がどうのとうことになって、
結局辞任に至る、ということが繰り返されています。
体が丈夫で、熱意があって、漢字がしっかり読めて、
言っていることが一貫していて、しかも政治資金的に潔癖で・・・
なんて人は、探してもきりがないと思います。
子供手当と児童手当、高速道路の料金、郵便局のあり方、年金のあり方なんて、
実際にやり始めてみないと、”本当に優れた方式”なんて分かるはずもないことです。
現時点で何が正しいか分からないことについての意見の違いで、
いちいちリーダーを代えていてどうするんだろうという気がします。
仮に、衆議院解散総選挙になるとしても、
その前に、自民党と民主党で
「衆議院で勝った方の政策を基本的に支えていくこと
(参議院は衆議院の判断を尊重すること)」
に合意した上で解散してもらいたいと思います。
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