文献学と弁護士仕事

私は、大学時代に文献学の訓練を受けました。

文献学は、昔の文献から色々なことを読み取る学問ですが(歴史だったり、文学だったり)、

私が、訓練を受けた文献学は哲学の文献研究です。

哲学者が残した文書から、行間を読むのは当たり前で、1つの表現から百のことを読みこむような発想をします。

なぜ、あえて、このような単語を用いたのか?

この二つの似た言葉の意味は同じか、別か?

あえて、ここであることに触れないのは、何故か?

とか、ありとあらゆる観点から分析していって、哲学者の真意を読み取ろうとします。

哲学者になりたくって大学に進んだ私としては、

自分の哲学を作るのではなく、誰かさんの哲学の研究者の道へ続く

文献研究は反発を感じました。

でも、作業としてはパズル的に面白い部分もあり、何らかのものは吸収したようです。

その後、めぐりめぐって、弁護士になりましたが、実は、この文献学的な訓練が役立っています。

文献学の発想では、文献実証主義なんて言ったりして、文献に根拠がないことは、何を言っても相手にされないような傾向があり、

そのために、上記のような深い、深ーい読み込みが行われます。

翻って、今の民事裁判。裁判所は書類に残った証拠が中心で、それ以外で何を言ってもなかなか通じにくい現状があります。

そこで、文献学です。書類を徹底的に分析します。

なぜ、あえてこのような文言を用いたのか?

この二つの似た言葉の意味は、同じか、別か?

通常あるはずの文言が、なぜ省かれているのか?

等等、契約書、通帳、決算書等の定型的な文書をはじめ、ありとあらゆる文書を徹底的に分析する習慣がついているようです。

弁護士仕事自体は、色々なことが要求される仕事ではありますが、

もっとも社会から隔絶された営みともいえる、文献研究の訓練が役に立つとは、面白いものです。

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