Archive for the ‘弁護士勝俣豪の雑感’ Category

WBCはどちらを応援すべきか

月曜日, 2月 4th, 2013
それは,日本に決まっているだろう,
というところですが,ヤクルトファンにとって
問題はそう簡単ではありません。

日本代表の選考,ヤクルトから誰が選ばれるか
楽しみにしていました。
選ばれてもおかしくない選手は,それなりにいたはずです。

でも,ふたを開けてみれば,相川ひとり。
明らかに,予備の捕手です。
うーん。なかなか,興味を持てないメンバーになってしまいました。

ところが,日本が初戦で対戦するブラジル。
実は,ブラジル代表には,3人もヤクルトの選手が選ばれているのです。

打ち方が松井に似ていて,大物になることを,ずっと期待していたけど
なかなか成長しきらず,1軍と2軍を行ったり来たり,
そろそろ年齢的にも後がない?
WBCで活躍して,一皮むけて欲しい,ユウイチ外野手。

昨年,2軍で無敵のピッチングを披露し,
1軍では制球難から通用しなかったけど,今年大きな飛躍を期待。
そのきっかけとして,WBCは最高の舞台。フェルナンデス投手。

それ以外にも,ウーゴ投手もヤクルトの選手。

さらにヤクルトOBの曲尾マイケとか,佐藤二郎(ツギオ)も選ばれていて,
ヤクルトの選手をろくに選んでくれなかった日本代表より,ブラジル代表に頑張って欲しくなります。

とは言っても,ブラジルに負けて,予選落ちなんてことになったら,さすがにがっかりしそうで悩ましいです。

他にも,ロマン投手は,プエルトリコ代表に選ばれたようだし,バレンティンはオランダ代表で出場しそうです。

オランダなんて,弱そうだけど,調子の良いバレンティンを抑えることができる日本の投手はいるのだろうか?
もし,日本対オランダ戦になって,バレンティンが3連発とかしたら,うれしいのか?悲しいのか?

 
このように,今年のWBCはなかなか,複雑ですが,それはそれで,楽しみです。
(でも,思い出せば,前回も優勝に大喜びしながら,打たれたのが韓国代表・ヤクルトの林(イム)でしたので
やはり複雑な気持ちもありました)

因果関係

水曜日, 1月 16th, 2013
法律では,因果関係が問題になることがあります。
原因を生み出したのでなければ,責任を負わないから
というようなことです。

思わずゲラゲラ笑ったら,地球の裏側の人が気分が悪くなって病気になった。
という場合は,笑ったことと病気に因果関係がないとか
でも,気分が悪くなったのが目の前の人だったら,因果関係があるかも
ただ,気分が悪くなるまでは因果関係あるけど,病気まではないかも
とかそんなところです。

でも実際のところ,因果関係のなんたるかは,極めて形而上学的な話であって,
厳密に考えると訳が分からなくなります。

因果関係は,「あれなくばこれなし」なんて言ったりしますが,
因果関係が必然的であれば,世の中はすべて必然的に進んでいるのであって
「あれなくば」なんて世界は,空想上の全く妥当性のない仮定の話になります。

カントが言うように,因果関係は物の客観的な世界に存するのではなく,
人間の認識方式の一つに過ぎないと考える
(人間がすべてのものに因果関係があると考えて認識するから,すべてのものに因果関係があるとうこと)
と,因果関係認識の前提となる人間の記憶にある過去の世界は,「あれなくば」なんてことのない
一本筋の過去なわけだから,そういう意味でも,「あれなくば」なんて言うことは因果関係の前提を
壊すことになる。
つまり,「あれなくばこれなし」なんて言う考えは,そもそも言語矛盾なわけです。

でも,そんな言語矛盾な概念を用いて世界を認識せざるを得ないのが,
ある意味,人間の業(ごう)というものなのかもしれません。

というところで,因果関係という概念は真面目に考えては,いけないんです。
でも,法律では,どうしても因果関係概念が必要になる。
そんなあたりで,法律ではどうやって因果関係を考えるのか?
結局,社会通念上の因果関係なんてあたりで,落ち着いているようです。
つまり,多くの人にとって因果関係があるように思えるということです。

いい加減なもんですが,因果関係という概念は,こういう取り扱いをせざるを得ないのです。

 

弁護士会と原発事故

日曜日, 1月 6th, 2013
弁護士会というのは、すべての弁護士が加入する強制加入団体です。
ですから、オスプレイがどうとか、死刑がどうとか、生活保護基準がどうとか
いうことについて発言することは「あってはならないこと」なんです。
本当は。

人権がどうのとか言う弁護士がいますが、
現行憲法で、とても(おそらくは、もっとも)大切な思想信条の自由。
思想信条を超えて加入しなければならない団体が
思想信条に係る問題について意見表明するなんていうのは
ケシカランことである
なんていうことは、少なくとも私の頃の司法試験では憲法で
しっかり学んでいるはずなんです。

で、どうも、人権人権とか言っている方々が弁護士会に
そういう意見表明をさせているなんていうのは
どこかの国が、民主主義人民共和国と名乗っているような
たちの悪い冗談です。

まあ、人間社会なんていうのはそういうものですから、
角を立てないためにほっておいて
ただ、この手の違法活動には関わらないようにしようというのが私の考えでしたが、
昨年から、問題点を指摘するようにしました。

福島の原発事故。
きっと、あういうことになりかねないことに気づいていた人はいると思うんです。
でも、角を立てないために、敢えて言わないということだったんじゃないか
という気がします。
日本人として、当たり前の、社会的なあり方です。

でも、事故が起こった後に、俺は危ないと思っていた、なんて言ったって、
相手にされないでしょうし、本人として、「なぜ、事前にしっかり指摘しなかったんだ」
という後悔が残るだけだと思います。

わが身を振り返ると、今の弁護士会のあり方、
なぜ、これほど、違法な状況なのにほっておいたのか?
と後から、問題になったときに、
角を立てないあり方で、本当によかったのか?
というと、たぶん、よくないのだろうと思います。
気づかない人もタチが悪いですが
気づきながら指摘しない人は、もしかしたら
もっとタチが悪いのかもしれません。

弁護士になって、十数年たち、本業以外の
業界全体のことに、少しは目が向いてきたのかもしれません。

 

弁護士の就職難は続く

金曜日, 12月 21st, 2012
昨年は、就職できない人が400人ということでしたが
今年は、540人のようです。

まあ、弁護士の2割以上が年間所得70万以下なって言っていて
明らかに、弁護士の供給は飽和しているわけですから、
逆に、新人が1000人以上就職できていることを祝福すべきでしょう。

いずれにしろ、人数の問題は、市場が解決すべき問題であって、
何人とか決める問題ではない。
ただ、国家予算等の関係で言えば、入り口でもう少し絞るという
選択肢もあるかなとは、思います。

本当の問題は、試験の質です。
質が保たれているのであれば、資格試験である以上、
人数を決めるべきでないというのが正論です。

でも・・・・・。

まあ、確かに、法曹人口を拡大するんですから、
志望者が合格者数にあわせて増大しない限り
ある程度質が落ちることは、当然予測されます。

が、私の印象は、ちょっと違います。

当事務所では、弁護士の採用にあたっては、
法律の基礎知識の試験を行っています。

少なくとも、この知識がないと、弁護士向けのマニュアル類を
使うことはできないという基礎知識です。
常識として、そんなことわざわざ書かない基礎知識。
つまり、このレベルの知識がないと、
弁護士業界のインフラを使って、業務を行うことができない。

ところが、できる人は少ない。
別にできない人が悪いんじゃないんです。

明らかにカリキュラムがずれている。
試験内容が実務上必須の基礎知識が身につくように設計されていない。

確かに旧司法試験時代も、無駄なことをさせられました。
刑法でのなんとか無価値だとか
実務ではほとんど役に立たず
哲学を勉強した身からすれば、議論のレベルも極めて稚拙で
知的好奇心の対象にもならない、わけのわからないもの。
まあ、その手のものは沢山ありました。

そういう反省に基づいて、
無駄な知識を省いて実務的な知識を集中的に身につけるのが
新制度かと思っていたのですが、どうもそうではないらしい。

まあ、正直、多くの弁護士自身が、自分の仕事のエッセンスになっている
基礎知識が何であるのか、自省もなく業務を行っているので、実務上重要な知識という
ところで、応用知識か精神論ばかり教えることになる。

学者は、・・・
将来、法学者にお世話になることがあるかもしれませんので、あれですが
少なくとも、私の12年の弁護士生活において、法学者というものの存在感を感じたことは
これまでのところ、ほとんどありません(民法の我妻理論だけは別です)
実務に役に立つ本の大半は、弁護士か裁判官が書いた本だし。
つまり、実務的に何が役に立つかという興味を持っている法学者は、
かなり少数派だと思います。
法学者の社会的な存在意義は高いと思いますが、
実務教育に適した存在かというと、ピンときません。

 
考えてみれば、こんな状況では、実務で必須の基礎知識を身につけるという体制には
ならないのでしょう。
もっとも、5年10年単位では、新制度の人にとって使いやすいように、法曹界のインフラも
変わっていって落ち着くところに落ち着くのかな、とも思います。

ただ、弁護士向けのマニュアルを使いこなすだけの基礎知識がない状況で
即独(司法修習卒業後すぐ独立開業)というのは、
社会的に危険すぎるのではないか?
と、思います。

 
 
 
 

子連れ別居問題で弁護士が役立たずな理由

日曜日, 11月 25th, 2012
離婚で,よくある話。
奥さんが子供を連れて,突然,別居

国際的には違法なようなのですが,国内的には
何故か,「それが日本国民の感覚」ということで
あたりまえにされています。

その原因は,日本で離婚にかかわる弁護士が
離婚をする弁護士は,女の権利獲得のために邁進する弁護士

マニュアル的に処理する弁護士
ばかりということだろうと思っていました。

そして,それを確信するニュース。

日弁連委員会ニュースという
日弁連から自動的に配布されてくる新聞のようなものがあります。
その11月号で,『子連れ別居に関する勉強会』との記事が。

内容は,
国際間の子連れ別居を違法とするハーグ条約の締結間近の状況で
子連れ別居は国内でも違法なのではないかとの問題意識のもと
この問題に詳しい学者早川教授を招いて勉強会開催とのこと。

どうも早川教授が,国内でも子連れ別居は原則避けるべきとの意見を
述べたようです。

それに対し,弁護士側から意見,そう,ひたすら子連れ別居許されるべき
との意見,意見,意見。

まあ,こういう人たちが,男親の気持ちを代弁して頑張ってくれるわけありません。

制度が整っていないだ,なんだと言ってますが,
整える気はないようです。

確かに現状,別居前に裁判をするというのはなかなか敷居が高い。
ただ,子連れ別居が行われた直後に,男親から裁判所に申し立てがあれば
原則もとに戻すという程度の運用は,何ら制度の準備もなくできることです。

ようは,やる気がないと言うことでしょう。

当事務所では,この問題に積極的に取り組んでいます。
特集!男の離婚

神奈川県弁護士会

水曜日, 9月 26th, 2012
神奈川県内に事務所がある弁護士は皆
横浜弁護士会に所属しています。
川崎に事務所があろうと、
小田原に事務所があろうと
横浜弁護士会に所属しています。

強制加入なので、横浜弁護士会を
どうしてもやめたければ
弁護士をやめるか、
他の県に事務所を移していただく必要があります。

神奈川県弁護士会なんてものは
ありません。

そこで、この「横浜」という名前に
不満がある人たちが
しきりに横浜弁護士会の名前を変えようとしています。

今までも、2回ほど、そのことで、
弁護士会内の総会だか何かで
ケツをとりましたが、
結局、現状維持で、横浜弁護士会です。

そして今、再び、神奈川県弁護士会にしようという
動きが久々に出ていて、今年の終わり頃に
ケツをとることになっています。

そのため、神奈川県内に事務所がある弁護士は
「あなたは横浜派ですか?」とか
「私は会名変更に賛成です」とか
「もともと横浜派ですが、今は神奈川派です」
とか、挨拶の次にはそのようなことを話し合っているようです。

話がややこしいのは、神奈川にしたい人の間でも
神奈川県弁護士会がよい
神奈川弁護士会がよい
かながわ弁護士会がよい
とか意見の違いがあって、
神奈川弁護士会なら賛成するが、神奈川県弁護士会になるなら
横浜弁護士会のほうがマシとか
色々意見があることです。

まあ、根本的にはどうでもよい問題だけに
気楽に議論できるのでしょう。
でも、結構真剣な人もいるので、
茶化したマネをすると、怒られます。

私は弁護士会内のメルマガの編集の
仕事をしているのですが、軽い冗談で
命名権売却!
なんて書いたら、検閲にひっかかってしまいました。

さて、いったいどうなることやらですが、
会の名前が変わると、当事務所の看板類には
所属弁護士会名として横浜弁護士会と書いてあるので
費用をかけて書き換えないとなりません。
そういう意味では、当事務所にとっても
「どうでもよい」とは言い切れないようです。

飛躍

木曜日, 9月 13th, 2012
先日,日本とイラクのサッカーの試合を見ました。
あまり,ヤクルトの試合以外のスポーツには興味がないのですが,
サッカーの日本代表の試合であれば,
どちらを応援するか迷うこともないし
ルールも単純なので,たまにみることがあります。

今回は,何故か,娘が少し前から
サッカーの試合があるから,みるべきだと
言っていたので,何となくつけてみました。

びっくりしたのは,日本の選手がとてもうまくなっていたことです。

Jリーグができたの,ワールドカップだの
と騒ぎ出した頃とはえらいちがいです。

昔の印象だと,ボールが飛んできたのを一旦止めてからでないと
蹴らない。
シュートを遠慮しているのか,なかなかせずにパスばかりしている。

まあ,日本人だとこんなもんかなと思ってみていたのですが,
その頃から,二世代くらいは進んだのでしょうか?
全然レベルが違って,うまくなっていたので驚きました。

日本人には無理だとかいうことではなくて,
ハイレベルを目指して徐々に積み重ねていけば
あんなこともできるんですね。

そのうち,メジャーで日本人ホームラン王も出るかも知れません。

当事務所では,個人法務で,質の高いサービスを目指しています。
外部から見れば,当たり前に見えるこの目標,
業界内で見れば,実は???な,目標なんです。

離婚や交通事故や相続なんて,誰がやっても同じ
質の高いサービスなんて,ありえないでしょう。
せいぜい,こまめに報告するくらいじゃない?

というのが業界内の一般的な考えだろうと思います。
その常識を越えて,日々努力と工夫を重ねて,圧倒的なレベル差を
実現したいというのが当事務所の目標です。

徐々に成果が出始めています。
そう簡単ではないと思いますが,
10年単位くらいでは,明確な飛躍を成し遂げたいと思っています。

パラドックス

土曜日, 9月 8th, 2012
最近は、円高や、高い法人税、
行き過ぎた労働規制に嫌気が差して、
どんどん、日本から工場がなくなってきているようです。

円高は、ともかく、あとの2つは、
弱者保護の名目のもと
結局、企業を追い出して
より弱者なるものを増やして、苦しめるというこです。

弱者を助けるようなことをしたつもりが、
つけは、まわりまわって、何倍にもなって弱者にはねかえる。

まあ、そういうことです。
この種のパラドックスが、世の中の基本的な仕組みです。

資本主義・自由主義の基本的な理念は、

社会のために頑張るより、自分の利益を追求したほうが
社会がよりよくなる

ということで、それ自体、パラドックスのようです。
が、まだ、続きがあります。

経営学的な研究からすれば、
大きな利益をあげている企業は利益追求を目的にせずに
社会貢献を大きく掲げている。
ということです。
つまり、 利益追求なんて目的では
本気で、長いあいだ継続して頑張れません。
大きな社会貢献の目的への努力が、
結果として大きな利益を生むわけです。

つまり、
社会をよくするには、社会全体の利益追求でなく、自分の利益追求が大事。
自分の利益追求をよりよくするには、自分の利益追求でなく、社会に貢献しようと思って頑張ることが大事

もお、複雑すぎて、ワケ分かりませんが、
この世の中のモノゴトを考える上では、極めて大事なことだろうと思います。

少なくとも、政策を考えたりする上では、こういうパラドックスを意識せずに、
幼稚な正義感覚に基づいて、弱者救済なんてやって気持ちよくなると
まあ、迷惑至極ということになってしまうわけです。

 

家電メーカー

金曜日, 9月 7th, 2012
日本の家電メーカーが色々大変なようです。

まあ、そうだろうなあ
と思います。

昨年買った、日本製のスマートフォン。
留守電聞いていると、
メッセージを抹消するには9を押してください。
電話をみると、画面は真っ暗。
適当にボタンを押すと、ロックが掛かっている。
ロックをはずすと、ホーム画面で
数字を押すボタンはない。
そんで、電話の受話器のマークを押すと
文字が書かれたボタンが色々でてきて
そのうち、一つにダイヤルキーがどうたらと書いてあって
それを押すと ようやく数字が押せるようになる。
はれて、メッセージの抹消に成功

こんなものを平気で売り出す企業は
まあ、どうなろうとしょうがないんじゃないかと思います。
(私のスマートフォンの会社は、まだ順調なようですが)

パソコンのキーボードだってそうです。
日本語の入力をしたければ、文節の区切り場所を動かすために
矢印キーをやたらに使います。
(私は、Ctrl+S等を色々使いますが、これは当然敷居が高い)
でも、どのメーカーも、矢印キーは遠いところにあるものばかり。
設計している理系担当者は、英語ばっかり入力して、日本語を入力しないのか?
それとも、Ctrl+ なんて自分がやっているから、それで十分と
誇らしげに思っているのか。

だいたい、キャラクターを使って、パソコン楽しげ、簡単簡単なんてやるくらいなら
普通に五十音順にならんでいるキーボードを作ればよいだろうに。

と、人のやっていることについては、ああすればよいのに
と色々考え付くもので、人様からすれば、
弁護士になんぞ、言われたくない
というところでしょう。

で、人様ならば、色々とアイデアがあるのではと
期待して、人様に聞いてみたり、
相談や委任業務終了後のアンケートに
その手の要望をかいてもらう欄を作ってみたり
色々やってみていますが、
今のところ、結果には結びついていません。
 

失敗の効用

月曜日, 8月 27th, 2012
日経新聞で大学の特集をしていて
博士課程に人が集まらなくて
研究が困難になっているというようなことが
書いてありました。

そういえば,年始に研究者をしている友人が
「このままでは成り立たなくなる」
なんて話をしていたのを思い出しました。
そのときは,なんだかよく分かりませんでしたが,
博士課程に行っても人生を棒に振るだけであれば
まともな人間は,当然集まらない。
その結果,博士課程に進む人をあてにして
成り立っていた業界の仕組みが壊れてきている
というようなことのようです。

大学の研究者でのポスドク問題は
法曹界の一歩先を行っている気がするので,
これは,法曹界の未来の予言しているような
気もします。

今の業界状況,法科大学院の志願者激減の
状況を前提に,司法試験のレベルを維持すれば
おそらく合格者は数百人程度になるのではないか?

そうすると,弁護士を採用したくても採用できず
ということもあるかも知れません。

まあ,そうしたら司法修習後,企業に就職して,それなりに
人生経験積んだ人が,弁護士になって
かえってよいかも。

さて,それ以外に,よい面があるかもしれません。
今までの,司法試験→弁護士ルートは,
一旦社会に出た,社会不適応型エリートの再チャレンジという
性格がありました。

私自身もそうですが,会社に入ってみたものの
サラリーマンは無理だ!
と思ったときに,一番,容易で魅力的なものが
弁護士転身だったわけです。

でも,もう司法試験に逃げられません。
どうなるか?
頑張って起業して会社を作ってください。

今の社会の問題のひとつは,
新しい起業が育っていかないこと
その一つの要因は,東大あたりを出た人間が
起業をするという人生に魅力を感じていないこと
があると思います。

でも,もう
大学院に戻って研究者になっても
司法試験に合格して弁護士になっても
食べてはいけません。

一つ間違えば,エリートニート量産になりますが,
何とか良い方向に向いて欲しいものです。