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教養

月曜日, 7月 16th, 2012
日経新聞の一面で
人材育成 企業が注目の大学 国際教養大 首位に
とのことです。
さらに、主要企業の人事トップが大学教育に求めるものは
「教養教育の強化」
が1位とのことです。

少し前までは、大学教育に社会に出てからの即戦力的な
知識を求めていたような気がしないでもないですが、
主要企業の人事トップ、つまり企業人としての上位層が
現代の若い世代に対して教養の不足を思うのは
そうだろうな、と思います。

私自身は、自分より多少上の世代よりは、はるかに劣るのかもしれませんが、
幸運にも、教養教育は、同世代の中では、かなり受けていると思います。

まず、高校が県立高校 だったため、理科社会を幅広く授業を受けています。
理科であれば、生物全部と、物理・化学・地学の半分を学んでいます。
社会であれば、日本史・世界史・地理・倫理・政治経済といったたりもひとおとり学んでいます。
これが、いわゆる中高一貫の受験校だと、受験対策を優先するために
私が学んだことの半分以下しか学んでいないことが多いようです。
たとえば文系であれば、物理や化学は全然知らないということも普通です。

また、大学受験も東大受験は、社会2科目の6科目の受験をしなければならないので
私学の3科目や、通常の国立大の5科目程度に比べると、
教養を身につけざるを得ません。
やはり、受験科目は授業を受けただけの教科に比べると、気合が違いますから
かなり濃く理解します。
なお、高校での授業科目というのは、ある意味教養の基礎をなす部分です。
教養とは雑学ではなく、一定の学問化・理論化された体系的知識です。
そういったものの、もっとも基本的な部分を高校の各科目で学びます。
少し前に、B型肝炎訴訟の関係で遺伝子について改めて理解しなおす必要があったとき
友人の生物学者に何を読むとよいか聞いたところ、
高校の教科書が、学者間の共通理解の基礎となる部分で、とても優れているから
お薦めといわれましたが、各科目とも、高校の教科書というのはそういうものだろうと思います。

と高校の授業の有用性について、えらそうに書いていますが、実際には、全く聞いていなくて
試験勉強だけでした(でも、試験勉強をすれば、結局学べます)。
で、聞いてなくて何をしていたかというと、文学史にでているような本をひたすら読んでいましたので、
いわゆる文学史上の名作の類は結構読んでいます。
(授業中に漫画の類を読んでいるととりあげられるが、名作の類だと黙認される面がありました)

さらに、大学では哲学を中心に勉強し、当時は、西洋哲学史の講義くらいは
できるだろうという気分でした。
大学卒業後、不動産鑑定士の受験機会があり、経済学、会計学を学ぶ機会を得ました。
(これも試験なので、かなり濃い密度で理解しているはずです)

というわけで、ありがたいことに、おそらく同世代では、色々な学問が、おおよそどういうものか
等にふれる機会があったと思います

で、私の交友関係というのは、大学関係だったり法曹関係だったりで、
世間的にはいわゆる、かなりのエリート層のはずなのですが、
その会話の中に、上記のような教養が必要とされる会話は、ほとんどありません。
つまり、教養がなくても、困ることは、まずありません。

それは、単にその話題を避けているのではなく、端的にそういう教育を受けていないことにあります。
高校で、十分に理科や社会を学んでいなかったり、文学はほとんど触れていなかったり、
文系学問でも自分の学部系以外のことは、教養の講義でざっと聞いただけだったり
現状、同世代のいわゆるエリート層といわれる人の現状はそんなところと思われます。
一度、刑事事件で、基本的な物理法則上、ありえないような主張を検事がし、
その不合理を指摘したところ、判決では、事故時には様々な不可思議な力が働くので、
なんて書いてあったりして、そういう意味でも、法曹界の教養のなさも危険水準にあります。

私は、外人との接触はほとんどないので実感はないのですが、
外人のエリート層は、その会話の共通基盤としての教養があるという
話は、ちょこちょこと聞きます。
でも、日本には、あまりそういった雰囲気は感じません。

まあでも、本日日経新聞1面のメイン記事は、若者が企業に就職できずに
必死になっている話しですから、
企業が教養を重視するようになると、少しは世の中変わるのかもしれません。