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ネクタイ(不合理の合理性)

金曜日, 5月 13th, 2011
今年は,震災の影響もあって,クールビズが大いに進みそうです。

でも,そもそもネクタイのように,何の役にも立たないものを

何故付けるのでしょうか?

合理的に考えれば,夏の節電以外にも,朝,余分な時間がかかるし,購入にも余分なコストがかかるし,

ネクタイをつけるという行動に合理性はないように思えます。

でも,多分,この不合理な行動を守らせるということに合理性があるのだと思います。

世の中の常識やルールには不合理なものが沢山あります。

でも,人はそれを暗黙のうちに,守っています。

それを不合理だとかいって破ったり,ケチをつけたりしない人を常識人と言ったりします。

つまり,ネクタイを付けることは,奇抜な行動をしない常識人であるという記号として意味を持ちます。

これは,仮に奇抜な形のネクタイをしていたり,ネクタイが裏返しになっていたりする人がいたら,

「この人は変な人なのではないか?近づかないでおこう」と考えることができるとうことです。

奇抜なネクタイや裏返しのネクタイが趣味にしろ,身だしなみを整える能力がないことによるにしろ,

あまりかかわらない方がよい人物をあぶり出すことができるわけです。

これは,ネクタイに限らず,スーツやワイシャツと一体になった身だしなみ一般がこのような機能を果たします。

激しい寝癖がそのままだったり,やたら汚いスーツだったり,または,ちょっとガラが悪そうだったり,そういう人に目印が付くわけです。

そして,そのためには,守ることに合理性がなく,かつ,普通の人であれば大した手間ではないが,

普通でない人にとっては,逆らってみたくなったり,守るのが困難だったりする,社会的なルールを決めるのが合理的です。

そんなわけで,一見,不合理なネクタイ着用の習慣は,社会的に合理性があるものと思われます。

ですから,クールビズが普及するためには,単に,簡単な格好を普及させるだけでは駄目で,

ネクタイに代わる,ちょっと不合理でちょっと面倒な身だしなみのルールを別に用意する必要があるのではないかと思います。