Archive for 5月 17th, 2011

サムライと鉄砲

火曜日, 5月 17th, 2011
日曜日に映画のテレビで映画のラストサムライをやっていたので,
録画しておいて,野球が休みの昨日,途中まで見ました。

日本人は,インディアン扱いなので,アメリカ人のみる日本人とは,
いまだ,そういうものなんだなあ,と思いました。

ところで,この映画では,サムライは,鉄砲のような卑怯なモノは使いたくないとして描かれています。
以前に,大河ドラマの新撰組でも,新撰組の人達が鉄砲大砲の威力に負けて,剣の時代は終わったなんて叫んでいました。

でも,これは歴史認識として,なんだか違和感があります(ただし,私は歴史の専門家ではないので,以下に書くことは,私が間違っているのかも知れません)。

サムライというのは,農民と区別された,職業的な武士だと思うのですが,
その起源は,織田信長による兵農分離です。
それ以前の武士なるものは,普段は農民で,ご恩と奉公として声が掛かれば,武器を持って駆けつけるというものです。

で,織田信長によって,農民から分離された武士は,戦争と戦争訓練に専念できます。

兵農分離されてない場合,村ごとに,若い者10人,馬3匹,槍5本,鉄砲1挺なんて集めて,その集団が村の長を中心に固まって闘うような形になります。
鉄砲ばかり集めて,組織的に運用したりできませんし,集団的に訓練なんてできません。
兵農分離によって,鉄砲の組織的運用が可能になるわけです。

兵農分離は,他にも農閑期以外でも闘えるとか,豊臣秀吉や明智光秀のような優秀な流れ者を指揮官にできる,兵士が死傷をしてもすぐに代えがきくとか色々メリットがあったと思うのですが,鉄砲を組織的に運用するという点でも大きな意味があったと思われます。

当時の鉄砲は,1回の発射に手間がかかるため,組織的に運用してこそ,戦力になる武器です。

そうすると,兵農分離によって,鉄砲ははじめて強力な戦力になったと思われます。

このように,織田信長の兵農分離によって,サムライが生まれ,鉄砲を重要な兵器とする新しい戦争が可能になったわけです。

そして,日本の鉄砲は,信長晩年から江戸初期くらいまで,鉄砲の保有量,生産力,組織的運用力等において,世界最強だったようです。

つまり,世界史的にみれば,サムライというのは16世紀終りから17世紀初めにかけて,先端兵器である鉄砲の組織的な運用に成功し

鉄砲を主力とする新しい戦い方を始めた集団だったと言え,サムライ=剣というより,サムライ=鉄砲のほうが適切なのではないかと思います。

ちなみに,
1533年 スペインにより南米インカ帝国滅亡
1534年 織田信長出生
1543年 鉄砲が種子島に伝来
1565年 スペインがフィリピン征服
1582年 織田信長没
という年表からすると,鉄砲持ったスペイン人やポルトガル人が,世界を駆けめぐっているさなか,
当時の日本人が,驚くべきスピードで新兵器鉄砲を吸収して量産体制を築き,世界随一の鉄砲国家になったことがわかります。
 
明治維新以後や戦後の「追いつけ追い越せ」が強調されますが,戦国末期から安土桃山期の日本にその原点があるのではないかと思います。